地域デザインをめぐって vol.31

2019年度の卒業研究を振り返る

植田啓太 齊藤領亮 藤本一輝

2019年度(2020年3月)の卒業研究は、3人でした。個性豊かな3人は、テーマも進め方も対象地域も全く異なりますが、絶妙なハーモニーを奏でつつ、先輩たちも思わず引き込まれる発表で、毎回の研究室会議を大変有意義なものにしてきました。

植田啓太:多摩川沿岸部における農住工の並存と混在に関する研究 -川崎市久地・宇奈根地区を対象にして(論文)U

齊藤領亮:地卡園(ちそうえん)〜武蔵小杉タワマン街の編み直し(設計)S

藤本一輝:大都市近郊に集住するクルド人「難民」の場所に関する研究(論文)F

1 どうやってテーマを決めて温めたか?

F 今日はお集まりいただいて、ありがとうございます(笑)
U 全然考えてない、、、
K どなたから行きましょう、
F 司会進行させていただきます。
そもそも僕たちは地域デザイン研究室で10ヶ月ぐらい経つが、入室の動機を最初の研究室会議で何を言ったかを振り返ってみる?
U 自分の出身地の紹介して、そのパーソナリティに関係づけて、育ったところと上京してからの違いを、研究テーマとしてしゃべった。
F 都市の違いがバックグラウンドの違いでもあって、みんな違うのが面白い。
S 僕も最初好きな都市を言って、横須賀中央のタワマンの話をして(演習もやっていたし)まだ武蔵小杉を考えていなかったので、なんとなくこういう課題意識から、というので始まった気がする。
F 最終的にもタワマンで結実した。
僕は、埼玉の県南の東京近郊で育ったが、思い入れがある感じはなくて、ベッドタウンのワンオブゼムだった、ワラビはエスニックタウンで、自分の住んでいるところと異質なまちがある、というぐらいの認識だった。
テーマとしては全く決めていなかったが「外国人とか異文化が好きです」といった記憶はある。
(U めっちゃ主導権握って、この話し合いを仕切ってる)
今の最終形に決まるまでの過程は?いくつか選択肢もあった?

U 色んなことを語れそうな地域を選ぼうかなという意識があって、リストアップして、久地宇奈根が面白そうと思ったけど、場所から入りすぎて、研究テーマの深掘りになかなかならなかった。
港北ニュータウンもいいと思った時期もあって、ニュータウンに入りきってないぐしゃぐしゃな場所が残っているところ。
いずれにせよ計画から外れたところを選ぼうという意識はあった。
F 言葉の使いかたに凝っていたという感じは受けていた、3人ともそうかもしれないけれど。
スプロールなのか、非混在なのか、とか。
U 色んなワードを一年ぐるぐる回ってきて、どれもしっくりこないとかくるとか、どうとでも言えるような気がするけれど、自分がどうみているかが大事だと思う。
K 最後に残った言葉は?
U 並存と混在というちょっと変則的な言葉の使い方をしたが、言葉に縛られて、最後困った。先にタイトル決めて、あとからその言葉の中で考えるというプロセスは辛かった、でもそういう状況で考えるのは面白かった。
F 場所と格闘しつつ、言葉とも格闘したのが、かけがえのない経験。
U 最初に言葉のこと考えてたよね、Sは。
S 言葉そのものに焦点をあてて、建築家の言葉を拾ったりしていた。いざ対象敷地を考えて、日暮里面白いなと思っていたが、都市分断とかタワマンの足元の集合施設とか、この街に馴染んでない感じがしていた。高低差が都市構造を決めているところも面白いと思っていた。自分が横須賀中央のタワマンとか再開発というものに対して、再開発によって何か失われているものがあるのではないかという意識をより如実に感じる場所だった。たとえば、Uは都市構造という言葉が分析のあとで見つかったというプロセスを経たと思うが、それができなかったという思いはある。
K 言葉にしたかったということ?
F 高低差みたいなことがタワマンの地下空間に生かされたともいえるのでは?
U なんでタワマンの設計で地下空間にこだわったの?
S タワマンでしかできないこと、ということで地下空間に着目した。
K 「再開発によって失われているもの」って何?それを考えるのは都市とは何かという問いにつながっていくものだと思う。
F いわゆる「タワマンポエム」は、どこか美辞麗句のようで、土地性を表現していそうで地に足がついていないように思う。ふわっとしていてちょっと受け入れがたい、、、

F で、自分のこととしては、エスニックタウンは5-6月ごろに決まって、既往研究をレビューしていた。すべての既往研究に目を通す時間がなかったので、特定の既往研究の冒頭で紹介されている研究をまとめ、相互の関連性を意識しながら、エスニックタウン研究や移民研究で扱われるテーマについて類型化していった。エスニック・ビジネス(中華料理店の出店とか)、公営住宅、メディアにおけるまなざし(大泉町の観光化とか)などで分類して、自分の関心を決めていった。そのうえで共生や包摂排除の系に寄せていった。
既往研究から入る場合も、場所から入る場合もあるけれど、大久保とか横浜中華街とか埼玉蕨とか、プレ調査でやってみて、うちから近い芝園団地(中国人の居住地)で、東大生も活動していて、川口も成り立つかなと思ってもいたが、研究動機を立てるのは難しいな、と。でも意外に中国人だけではなく、バングラディッシュの人もいてマルチな感じを蕨で受けた。夏休み頃にクルド人で、直接的には益邑さんのラジオ情報もあって、クルディスタンも知っていたが、どう関わっていいのかわからないときに、クルド人向けカフェの日本人にポッドキャストを聞いて連絡したら、20分後に返信が来て、明日会いましょう、と劇的に進んだ。
U ヒアリングの最初は難しいよね。たまたままちあるきイベントがあって、たまたま参加していた工場がちゃんと話を聞いてくれるところだったから、そこから話が膨らんでいった。
F 偶然の出会いはすごい。公民館でやっているクルド日本語教室の方を教えていただいて、そこからクルド人家庭をご紹介いただいてインタビューしたり。
一応研究目的ではあるけれども、人生観も変わったりしたこともある。
K どうやって地域に研究を還元しようと思う?
F 少し負い目を感じる、相手の語ってくれたことをネタにしていて、こっちは切り売りするのはあるので。自分が相手のために何をしているのか、こういうことを知りたい、ということを、漫然とは聞かないようにした。最低限のリスペクト。当たり前のことだが。そのうえで、研究とは直接関係ないけれども、お話を伺う代わりに勉強を教えていた。一種の互酬かもしれない。
U 一つの地域の中に、色んな層の人、色んな考えの人がいて、ある意味、客観視するというのが研究を書くのが還元の形だと思ってやるようにしていた。
できれば、提案にも踏み込みたかった。そこができなかったこと。
客観視するというのは、工業会の方も町会の方も地域に対してそれぞれの考えを持っていて、それを少し引いた目でまとめてみたり、自分の意見を加えることが大事ではないかと思った。
F 旧住民と新住民ということ?
U それぞれ工業会の人は工業会のことしかまちをみられていない、旧集落の人もそういう目線。でももうちょっと引いた目で見ると、示せているかはわからないが、地域としてこういう可能性があるのではないかということを言いたかったのだろうと思う。
F 人によってまちの見え方は違う。それを深入りしない方向ということ?
U いやそういうわけではなく、主観的な意見も拾う気ではいた。
K どうやって還元できるかということは常に念頭にすべきではあるが、到底無理という諦念の方が事実に近いこともあって、そもそもみんなが自分のやりたいことを持ち寄るというのが現場かも。
設計では地域との距離感はあった?
S むしろ人との距離を詰めたい気はあったが、台風で、管理組合やエリマネに連絡をとったが、対応に追われて無理、となって、個人的なツテで、武蔵小杉に住んでいる人にあたるぐらいしかできなかった。
どっちかというと、鳥の目で見ていた。
武蔵小杉のタワマンを研究しているということもほとんどなくて、抽象的に郊外のタワマン街にこういうことが言われているという目線で、武蔵小杉をみていたというところはある。
F 武蔵小杉だから、とならなかった?
S 元々、武蔵小杉という関心から入ってなかった、
F まちから入るか、テーマから入るか、の差は大きい。
U 他の設計の人は、わりと場所から入る。
S 去年、應武さんのヘルパーをやっていて、まず場所から選んで、なぜここを選んだのか、ということでテーマを深めて、それから場所を再確定していく、と言っていた。
もうちょっと具体的に興味があるという場所を決めてから、やった方が良かったかなという感じはする。
U あんまりどっぷり地域に入っちゃうと、情が湧いて、その中で提案するのは逆に難しいのかなとも。最初、設計と論文で悩んでいる時期があったが、もし設計だったと考えると難しかっただろうなと思う。ある程度、距離とらないと提案できないのかなと思うこともある。
K なんでだろう?
F 僕はある程度バイアスだなと思いつつ、当事者に寄り添った提案的研究、情が湧いたものとして、実際湧いてやっていた。学術的意義なんでしょうけれど、拾いあげられていない声があると思ったから。まずは拾いあげていく感じで、与する視点でやっていた。難民研究の系譜で、当事者の声を拾い上げたり、収容経験者の声を書いたり、という研究はある。難民でも生活者でもあるベトナムからの流入者の研究の流れにのっかったという点がある。
K 情に流されることの意味や、専門家の立場とは何か、など考えるべき点。
U:農と住と工とが入り混じる宇奈根の風景

S:タワマン街の公共空間とは?

F:ありふれた東京近郊の風景が、どことなく愛おしい。

2 終わってみて、自分として得られたものは何か?

S プラクティカルな話、ヘルパーの采配などが、かなりでかい。
最初、自分はファブレス企業になって、ヘルパーに全部作業をしてもらうというイメージだったが、一緒に作業しながらコミュニケーションしてやっていく方がいいと思った。ヘルパーから「こここうするんですか」と聞かれて、あーいいなーと思ったり、単純に仲良くなったり。
自分がパソコン作業していても、ヘルパーから質問されたり、どうしているか気になったり、意外に集中できないし、近くで一緒に模型などを作る方が、モチベーションがあがると思う。
模型のスケール1/100は大規模建築には向かず、、、A0のスチボを3枚買ったがでかくて切りにくかった、テーブルにおさまらず。
1/2500はスタイロが小さすぎて、単純作業が永遠に続く感じ、ヘルパーさんにやってもらうのも申し訳ないという感じ、というのは経験。
F 設計は全く論文とは違うフェイズだが、一番きつかったときは?
S 一番大変だったのは、一本の流れをつくる、最終的に出すものは、現状分析→コンセプト→空間、でも、作業は同時平行で進めていて、辻褄を合わせながらやっているつもりだが、いざプレボなり原稿なりにしてみると、あれここ論理がおかしい、とか、十分に言えてない箇所があるのが見えてきたり。そこが難しかったかな。
K 一本の流れは、いつ頃から意識していた?
S 一月後半からかな。
F だいぶギリギリ。
K 一本の流れにするというイメージは、設計でも論文でも最後には重要かも。
F 発表を終えてみての感慨は?
S あんまり覚えていない、、、自分が大事と思っていたことがちゃんと伝わったのかな。質問をみてもあんまり伝わってない気がした。
F いいものをつくりあげても伝えるところまでいかないと。コンテンツとデリバリーと。
K そこが違うから、面白いこともあるよね。解釈が開かれている、という。
F 「誤読が哲学を豊かにする。」研究室会議では自分が重要だと思っていなかった点にツッコミが入ったり、想像もつかないような指摘が入って、そのことで視点が広まった側面もある。そういう視点がある。
S 研究室会議だと敢えて不完全なもの出しても、そういう方が意外と(完全にまとまっているものよりも)広がったなという感じはある。
F ヒアリングのデータを書き起こしたものを出すと、ちっちゃいことを聞かれて、あ、調べてみようとなったり。
K やりとりになっていることが重要かも。設計と論文は発表ややりとりの仕方が本当は違うのだろうけれど。
ところで、形を提案するのは、どこが面白い?
S 概念が建築化するのが面白い。他の哲学や思想を生み出す仕事の人はいると思うが、それがこれほど、大衆の前にさらされることはなかなかない。色んな人が絶対目にする、プランナーやデザイナーが色んなことを考えて地面の上に立ったものが、小さい子が共有したり、色んな解釈があったり、議論が沸き起こったり、というのが面白い。
F 建築と都市だとどっちより?
S 建築よりだと思う。
U で?
F 何だろうなー、まー、まとまった文章を書き上げたことに自信があるようになった。僕の場合は、研究をやっているうちに、問いが根源的になっていった、国家とは何か、民族とは、移動、生活を営むとか。未解決で転がっている問いがあり、整理することができないでいる。それが得られたこと。そういう意味では、建築とか都市とかに限らず、政治や中東の文化などなど、関心の幅、視野が広がった、達成感があった。
U 最初の方、都市工っぽい研究にしたくないという話があって、結果的に都市計画に戻ってきた、とはならなかったということ?
F 意外と都市計画という感じはした、、、都市工っぽくしたくないというより、自然とぽくなくなるという感じ。進学段階から、社会学とか宗教学にもそもそも関心があった。でも都市は都市で面白いですけどね(なんちゅう言い方、、)。
対象地域が住んでいる場所に近いので、自宅と通学の間ぐらいだったところの彩度があがった、こういう人たちが生きていて、東京近郊というだけでは括れない、単純にいうと地元愛。ヒエラルキーを以前は感じていて、東京より面白くない、埼玉ってなんもない、みたいな返し方が一般的だったが、なんもなくはない、という気づき。
まちというより人と触れた感じ。研究を通じて人と触れる楽しさ。
U まちをみているつもりで実は人をみている感じの気づきはあった。
結局、そのまちのことを考えているとき、そこにいる人のことを考えること抜きに考えられない。
ヒアリングを重ねるとそういう認識になった。
K まちと人をまるっと一緒に扱う態度は、物凄く重要だと思う。
U もうその視点を獲得しちゃったから、元には戻れないという気すらする。
切り離しちゃえば済むようなところもある?、お互い様でやっている。プランニングというと、空間で解決する、という視点に止まっちゃうと思っていて、実際にヒアリングして現地の人の声を聞いていくと、そうじゃない解放やあり方も、あっていいんじゃないかと思う。それがどう都市計画に結びつくか、考えられてないが。そういうことを大事にしないといけないとならない意識を持てたことが得られたことかな。
F 都市計画では解決できない、ということも言ってなかった?
U 都市計画という言葉で言えるものではないかもしれない。

U:台風19号の被災直後、浸水した家具が運び出される霞堤の様子

S:地上と地下の関係=「地卡園」の模型化が始まりました。

F:クルドのお母さんの手作り菓子

3 次にもう一回やるとしたら?

K 難しい問い、そんな最初からわかっているわけない。
F 修士で何をやりたいか?自分は決まっていない。
U 僕も決まってない。
S 卒業設計にひっぱられそうな気もする。できなかったことをやりたい。公開空地の話も議論できていないし、タワマンの財政も踏み込んだらもうちょい何かが見つかる気もするし。やり残したことをやりたい。
F 卒業制作である程度、調べて、蓄積はある。シームレスに修士につなげていけるといいのでは?
U もう一回卒業設計やるとしたら?
S あまりにも自分と関わりがないところをやるのは厳しいのかなという気はした。距離感が近すぎるのもダメかもしれないが。
F 浦和という自分が住んだところは難しかったと思う、川口・蕨だと自宅からバスで行く感じ。物理的にも心理的にも隣町ぐらいをやるのはいい。
U 良いと思っているのは、自分も同じ距離感かも。手探りで、最初の研究だったから、そもそもどういうことをやるのが研究になるのか、わからなかったから、色々やってみてしぼっていく感じだったけど、一回やってみて、多少はつかめたところもあるので、もう少し先まで見通しながら研究できたらいいなとは思う。でも多分、修士でもうまくいかないだろうなという予感はしている。ちょっとそういう意識をもってリサーチできたらいいな。
F 単純に、もっと色んな人の話を聞けたら良かった。日本人と関わりのある人のみだった、クルド人で日本人に良い印象を持っているだけでもない、届いていない印象はある。
修士研究ではクルド人や場所ではないことに(対象を)変えると思う。人を見るというのは大事だと思っているが。固定観念に縛られないということも重要。自分のストーリーに沿うようにしちゃわないように、人の話を聞く中で自分の固定概念は覆されるので、そういう柔軟性は欲しい。
あとは、仮に後輩が読むとして、グーグルドライブに研究室会議に逐一あげていたので、そういうのを振り返ると、心の動きがわかると思う。
反省は、体力がなかったこと、、、人と話して人と向き合うのはエネルギーが要る。場数を踏むことも要るし、体力や気概が要る。数カ所を一気に回ることもあろうし。
これから未来においても心が折れることもあるだろう、なーなーでやってしまったこともあるし、2年をかけて腰を据えてやろうというテーマがまだ見つかってない、折れるときは折れてもいい、それがイニシエーションだし、折れたままかもしれないし、自分が選んだ道として。
あと、愛することができない地域を選ばないようにしたい。研究が終わっても想いを馳せられないのはよくない。
U 何が好きなのか、とか何を良いと思うか、をあまり考えられなかったというのが苦しかった。好きなものを好きという勇気を持つことが大事。
F わかる。都市が好きという気持ちがあって、それを言語化する術が知りたい。それで、語彙や体験を増やして、じゃーどこが好きかというために都市工学科に来たようなところがある。都市を好きになる。
S めっちゃ共感しました。そんなに武蔵小杉が好きになれなかった。なんでここが良いと思ったんだろう、というところから研究を始めるのは良いなと思った。
U 自分は自分が選んだところを良いと思っていたのかなー。(S 良いと思っていたようにみえてたよ)
F 武蔵小杉には、とっかかりがありすぎるだけに。
K 逆に好きになるまでやるというのもあり。
S:模型はいいな。環境と人が一体となっていることを思い出させてくれる。

以 上

今年も面白かったなー。変容と対応(時間と履歴)、公共空間(建築類型と地面)、空間の分節(何を守るか何から守るか)、非計画(意図と結果)、未来(背中から後ろ向きで、もしくは跳躍)、他者(から考える自分)。議論したことをそれぞれ温めて孵化しましょう。聞き手:窪田亜矢 K