地域デザインをめぐって vol.28

2018年度の修士研究を振り返る

伊藤智洋 永門航 新妻直人 窪田亜矢

2018年度の締めくくりは、学部4年から修士2年まで、プロジェクトに研究に精一杯の精進をして、研究室会議における重要な既往論文の紹介からオリジナルなリサーチ・クエスチョンの構築に至るまで、走り続けた3人に、メイキング・プロセス・オブ・修論を振り返ってもらいました。

伊藤智洋「バンコク都市鉄道の郊外駅周辺地域における空間構成と生活圏域に関する研究:国鉄線路沿いに建設されたAirport Rail Link郊外駅の駅開業前後の変容に着目して」

永門航「大都市近郊旧漁師町の空間形成に関する研究:千葉県浦安市・浦安元町地域を中心とする高度経済成長期以降の変容と継承に着目して」

新妻直人「原発複合被災集落における土地の利用・管理に関する研究:避難指示解除から2年半が経過した地震・津波・原発被災地、福島県南相馬市小高区を対象に」

1 修論を完成させた今、振り返ってみて、一番つらかったことは?、その乗り越え方は?

新妻:つらかったことですねー、、、、
伊・永:え、あんまりない?
新妻:そんなことはない、、、修論の内容に関連して、現場では、この先どうしたら良いか誰もわからない。それを、こういう風にしたら良いってありますか、と住民の方に伺っても(相手が困ってしまう)。
昨日の小高(おだか:南相馬市原発20km圏、研究&プロジェクト対象地)で、この2年で数えてみたら106日間行ってきた。いつも仲良くしてくださってきた地元の方が、これからこの地域ってどうしていくんですかね、と伺った時、いつもものすごく頑張っている方が「この地域はもう10年後には無くなっちゃうんじゃないかねー」とおっしゃっていることがあって。
修論自体を書くとか、発表準備する、とかいうのも、つらかったが、修論の過程を振り返って一番辛かったのは、その方のつらかったことを共感してつらくなった。その方のお気持ちがわかっちゃったというか、あーそうなんですか、と思った。10月中旬くらいだったので、そのときは修論へのモチベーションが保てなかった。11月の研究室会議で何言っているか、よくわからなくなっていたとき。はじめて聴いてもらった伸治先生が、よくわからないんだけど、、、、とおっしゃっていた。
結局乗り越えてはいないが(乗り越え方、んー、むちゃくちゃ難しいなー、ぶっちゃけて乗り越えてはいない)。でもあーどうしたらいいんだろう、と今でも考えることがある。
これからも小高に行くつもり、個人的に、東大プロジェクトのメンバーとしてではなく、あの地域に、個人のライフワークとして通おうとは思っている。一緒に考えていけたらと思っている。
永門:大学の肩書きをはずれて、自分は個人としてきてます、というのはある。
伊藤:一個人としてね。

永門:今の新妻君に似たようなところはありつつ、まちの様子が明らかに変わっていくことが見ていてしんどいなと思うことはあった。
修論の話としては、自分が明らかにしていくことが何なのか、というのがわかりやすくはないような気がしていたので、結局、自分がどこに向かっていくのか、わからないのが、一番しんどかったことかなと思う。
乗り越え方というと、わからないながらに、具体的なことに手を動かすしかなかった、というのが最後の感想。たくさんやればやるほど、わからなくなるところもあって、最後乗り越えられたとはいえない感触もある。すっきりまとまったとはいえない。その手前のところで、たくさん手を動かしたのはよかった。
現象に対して、何もできない、という感触はある。まちの人たちと話していても「何やりたいの?」とか「研究が何に役立つの?」とかに対して答えらない。
最後、浦安の魚市場もなくなってしまうし。
伊藤:プロジェクトとして修論やっていると、修論は研究としてやればよいが、プロジェクトは地元の人が望んでいるものがあってそれが伝わってくる。それが研究室として目指していることではあるが。
永門:修論の方も着眼点は少なくともそういうところ欲しいなと思う。(浦安は)具体的にわかりやすいものがたくさん残っているものではないので。学芸員さんの人もそうおっしゃっていた。「いや、それでもこれには価値があって」という思いをどう言えばいいのか。それを考え続けたから面白いことではある。わからないうちはやるしかないし。暗中模索を一年ぐらいやっていた。
プロジェクトの方もわかりやすい動かし方というよりは、、、
伊藤:その場の流れに任せるところもあった。

伊藤:二つあって、一つ目は異国の地の、しかもよくわからない、かなりニッチなところを選んでしまったので、そこがどういう場所でどういうことが起きていて、そこにはどういう面白さがあって、ということを自分の口で伝えるのが、なかなかできず仕舞いだったかな。自分の中で思っていることを伝える能力が足りないと痛感していた。
新妻君が一回対象駅にきてくれて、一緒に歩いてくれたのはうれしかった。
新妻:あのとき、生き生きしていた。永門が便の関係で来られなかった。
一番最初は、先生とターティエンに「伊藤君はタイ語ができる」という情報から、連れていかれて、向こうの先生にもお会いできて展開していった。はじめは問題意識から入っていったものが、なんかこういう営みもあるよな、となっていって、外の人から見ると、問題しかないようなところかもしれないが(自分には魅力にみえてきた)。
恣意的な分析しているという指摘になかなか答えられなかったが、答えることはできたはず。向こうに行くと、生き生きしている。なぜなら、向こうでは、ぼそぼそ独り言言いながら歩いているが、自分の思ったことを口に出していると、東京に戻ってきて、そこから議論ができた。表現したいところのボキャブラリーを増やしていった。現地に6回行った、現地で救われた。
二つ目は、向こうで、いろんなデータが集まった一方で、それをどう解釈するか、というのは最後まで乗り越えられなかった。
永・新:これからも、そこに通う?)
伊藤:たまたま仕事とかで行けるかも。自分がやったのは、インフラ整備にコミュニティを巻き込むべき、という議論をしたが、トピックとしてはありがちなものをがっちゃんこしたという感はあるが、一個ぐらい仕事で動かしたいなとは思う。

2 修論で得られた知見で一番推したいことは?その知見を好きな理由は?

永門:生業が変わっても漁業をやらなくなっても、まちの中に空間として残ってきたものがあるし、それがただ偶然残ってきただけでなくて、今の時代に合わせて広がってきているというのが一番面白かったこと。
そういう、残そうとして残ってきたものはすごいことだと思うし、そこに価値があるのはいうまでもないが、そうじゃなくてあくまでも自然と残ってきたものは、そこに面白い部分があると思っている。
自然な気持ちの中で、意識的ではないけれども、ずっと続いてきた、ということが、すごい面白いことだな、と。漁業があったからこそ、という面を、普段の生活の中で(意識に)結びつけることは多分ないと思うが、まちの人全体の中で、(そうした事実が)忘れられていないというところが結論書いていて面白いと思った。
逆に、計画として残そうとしていないから、計画が大変になっている。
まちの中の空間の細かい使い方や魚市場もまちの人たちが寄り集まってやってきたところで、行政とは独立してやってきたもの、計画の中で位置付けてやっていくわけではない、ものがあるゆえの持続しなさが面白い。

伊藤:僕も似たような感じで、残そうとか保全しようということではなかったが、今あるものが、ある程度の合理性のもとで成り立っていることを示せたのは、面白かった。
僕は合理性などが納得できないと(継承されるべきと)思えないというタイプだが、なんでこうなっているのか、わからなかった対象が、今は納得できるということ。それが結局、知見につながった。
今、ありがちなものが本当にこれでいいのか、というのは常に(批判的に)思っていたいな、とは思っていて、それのアンチテーゼとして、今の状況から論じることができたのは、純粋に面白かった。
永門:ミクロ=細やかなことをやっていると、純粋にこれ面白いんだよね、というところに落ち着く。
伊藤:背景として見えてきた合理性みたいなものが、今後につながっていってくれたら、もっと意義ある研究として、自分の中でも認められるかなと思う。
なにせ、自分の手から離れすぎている感じ。
永門:ミクロなことを実際の計画に結びつけるというのは、そうできて欲しいという思いもあるが、実際にそう動かしていくのは難しいだろうと思う。
伊藤:区画整理とか真っ向から対立しているし。警鐘を鳴らすということにはなってほしい。
窪田:ミクロ=細やかなことをやっていると、それをマクロに展開したくなるけど、そうなると、本質的な細やかさが失われることになって、その危うさは自覚的になりたいね。

新妻:小高の場合は「今あるもの」がなかったから「今何かをやることが大事だよ」と思っていた。まさにゼロの状態だから。
永門:今やったことが土台になる。
新妻:そう。やったことが次につながっていく、ということ。それはミクロなことだし、忘れられがちなことだし。この知見が好きな理由は、この知見は自分が考え出したことではなくてプロジェクトのメンバーに共通認識としてあるものだと思う。プロジェクトとしてやってきたことを、論文の結論として、もう一回出せたということが良かったのかなーという気がします。
永門:それぞれの知見のこれが、というより、プロジェクトのことを全体としてまとめられた。
新妻:2年間、それを自分がやってきたというのもあり、それが2年間のまとめ、という。それが、自己採点95点ということの理由。
永門:そう聴いていると、これまでやってきたのが知見でもあり、それがさっきの一番辛かったこととして、知見が生きていくかがわからない、ということか。なるほど。
伊藤:自分がやったことが本当に生きるかというあたりを考えられたところがよかったのでは。
新妻:運が良かっただけかも。集落というのは、こういう時代になっても、何かやっていく、という力があるんですね。危機があると、人類の歴史上もずっとあったと思うけど、それでも何かやっていく、ということ。人口減少とか高齢化とかいわれるけれど、まだ集落は生きているんだな、と。何なんだろうな集落、って思ったり。
永門:都市部だと色んな人がいて、色んなことが散らばっていくのをコントロールしていく感じ。それが、浦安でも、これが大事という(まちが共有している規範)があって、みんな似たようなところに向かって走っていくし、考え方の根底は同じところにあるという感じ。それは都市部とは違う。
伊藤:(バンコクの)フアマークは何でも受け入れちゃう。でも対応能力がすごい。こんなところに道路つくったら日本だったら怒るよ。マイベンライ(いいじゃん、みたいな)しぶとい感じ。「危機を乗り越える」というよりは「対応する」という感じ。洪水は来るもんだと思っていて、終わったら、また戻ってくる、みたいな。

3 後輩へのアドバイス

伊藤:プロジェクトとは全く関係のない海外研究をしてみて、これからもそういう人が少数ながらいると思うが、一つは「なんとかなるよ」。僕が恵まれていたのは、現地に行く機会は逃さなかった。現地にお友達ができて、そこからの広がりや展開がすごかった。そういうチャンスを逃さないようにやっていけば、飛び入りでやっていってもなんとかなるよ。自分もとても勇気付けられた。
自分の反省点は、先に(調査結果という)物がたくさんあってから、箱に入れていく作業、という順番だったこと。それはそれでよかったし、入れる物がないと箱も作れないのはよくわかるが、もうちょっと逆のプロセスも欲しかった。そこはバランスをとりたかった。もし次こういう機会があったら考えたい。
永門:枠組みつくるのは本当に難しい。
伊藤:中身がたくさんありすぎて、あーどうしましょう、となった。
永門:自分も同じようなことを言おうと思っていた。
伊藤:現地が好きすぎて。
新妻:これは修論には繋がらないだろうなと思っても調査しちゃったり。
永門:そう思っていたらやっぱり繋がったり。魚市場は修論には繋がらないと思っていたけれど、結局、繋がってきたり。
今年度の4-5月位は枠があるわけでもないし、資料は入手したけど、どう分析するかは全くない状態だった。一つずつから何が言えるかは、物ばかりが増えていかないうちにも考えていくべき。
新妻:物がたくさんあること自体はいいこと。
伊藤:扱えなくなってくると、辛い気持ちに、、、。
永門:増やしすぎると拾えないものがたくさんあって、枠組みも立たにくくなってくる。
新妻:このテーマは、思い切って「ごめん、できない」、、、というのもある。
永門:とりあえず一個やってみる、というのもある。
新妻:(避難先や新たな再定住地から元の居住地へ)「通い」という行為は、今でも興味あるし、やってみたかったけど、土地の話を始めたらそのまま突っ走った(ので「通い」には戻れなかった)。でも、そこを切らなかったら、修論全体が曖昧になった。
永門:土地の話をまとめたから「通い」への考えが明確になったという側面もある。
伊藤:プロジェクトとの線引きは?
新妻:全くしなかった。そういうのをしたら、逆にとっちらかるな、と。先生のアドバイスも「新妻君の関心とプロジェクトの関心は重なっているし」と言われた。
永門:俺、怪しいなー(笑)。意外と曖昧にしていても何とかなった。プロジェクトの特性(福島の小高PJだと実践、浦安PJだと調査より)もありそう。この部分は一緒にやれると嬉しいというのもあった。
新妻:このプロジェクトが何を目指しているのか明確にしておかないと、研究もぐちゃぐちゃになっちゃう。
永門:大事にしているもの自体は大きく変わることはない。

最後に一言ずつ。
永門:浦安に通い続ける手立ては残しておきたいと思っている。
新妻:めっちゃ頑張ればその地域のことは好きになれる。
伊藤:好きじゃないと研究できない。
永門:質的なアプローチだと、暮らしのことは深掘りしないと出てこない、好きでないとできない。手法次第か。

・・・そして、研究は続く。