地域デザインをめぐって vol.21 “小高”

福島第一原発事故に伴う旧避難指示区域内における帰還の現状と課題南相馬市小高区を事例として

益邑 明伸

 本稿は、日本建築学会大会農村計画部門研究協議会資料「住み継がれるカタチ 限界の先へ住み継ぐ」に寄稿した文章に一部加筆・修正したものです。

1.はじめに

 2011年3月の福島第一原子力発電所事故により、放射性物質が拡散し、広範な避難指示区域が設定され、多くの人々が居住地からの長期避難を強いられた。空間放射線量の低下等を受けて、順次避難指示の解除が進行しているが、なお避難生活が続く人々も多く存在する。決して放射性物質がなくなり、放射線リスクが被災前と同等になったわけではない中で、原発事故に伴う避難の過程、その後の帰還、移住の選択には多くの解決すべき課題が指摘されている。
 一方で、避難指示が解除された地域での暮らしを再開した人々にとっても、帰還した地域の環境は事故前とは大きく異なっており、完全に元通りの生活をすることはできていない。突発性大規模災害により「限界」とも見える居住環境の変化が生じており、いかにそこでの暮らしを再構成し、住み継ぐかは重要な視点である。
 本稿では、筆者らが復興まちづくりに関わる南相馬市小高区を事例とし、帰還した先にどのような課題が存在しているかを、特に自治組織に着目して明らかにする。

2.南相馬市小高区の概況

 南相馬市は福島県浜通り地域の宮城県寄りにあり、北は相馬市、南は浪江町と接している(図1)。2006年に鹿島町、原町市、小高町が合併し誕生した。このうち、原町区の一部(384世帯1,439人(2011年3月11日))と小高区全域(3,792世帯12,842人(2011年3月11日))に避難指示が発令された。


▲ 図1 南相馬市小高区の位置


▲ 図2 南相馬市小高区の行政区と避難指示区域 位置図

 小高区は旧小高町の区域に一致する。39の「行政区」という概ね近世の集落を基にした「居住や生産活動を共にしながら暮らしを維持向上させてきた共同生活・住民自治の基本単位(太田2017)」からなる。
 事故前の各行政区はそれぞれ集会施設、神社や民俗芸能を有しており、生産・居住環境の維持やイベント等を実施していた。すなわち、「生産」、「土地財産管理」、「文化的資源継承」、「生活扶助・交流」の機能を有していた。これにより、自然環境・地形を基盤として、居住や生業等により築かれてきた物的環境、祭事等の文化的活動や血縁・地縁を基本とした社会的環境を成立させていた(太田2017)。

3.原発被災地域における小高区の特徴

 2011年3月12日に避難指示区域、4月22日より警戒区域が設定された。放射性物質による汚染には東西で差があり、2012年4月16日より汚染度合いに即して避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域が設定された。年間積算線量が20mSvを下回ることが確実であるなどとして、2016年7月12日に南相馬市内の避難指示解除準備区域、居住制限区域は解除されている。
 避難指示が発令された地域の中における小高区の特徴は、沿岸は津波の被害も受けた点、市として2012年4月以降、避難指示解除準備区域、居住制限区域への立ち入りに制限を設けなかった点(注1)、避難指示が発令されなかった地域に近接していた点である。すなわち、津波被災により多くの人命、家屋が失われ、農地は未だ復旧工事に至っていない。浸水域に災害危険区域が設定され、居住用途の建築が禁じられている。原町区に市役所や商業集積、鹿島区に市の仮設住宅、仮設小中学校が立地しており、小高区の近くで生活することが可能であった。他地域に比べ、早い段階から立ち入りが容易であり、避難元と完全に切り離されずに生活を継続することが可能であった(太田2017)。 一方で、一つの自治体の中で避難指示が発令された地域とされなかった地域が併存したことは、市の政策の複雑さや市民の心情的な分断を生んでいる。

4.避難指示解除前後の小高区の環境の変化

 避難指示解除に先立ち、公共施設、郵便局等が再開し、公設仮設商店が新たに設置された。解除後には、JR常磐線の運行が再開され、商店の再開も相次いでいる。2017年4月からは、小中学校、高校が原地で再開される(注2)など、事故前とは大きな差が依然としてあるものの、生活を支える機能の段階的な回復が見られる。
 放射能汚染への対処の中心的政策である環境省による除染は、解除までに家屋の除染を(一部を除き)完了、2016年度末までに農地と生活圏の除染を完了した。現在は、荒廃家屋の公費解体が進行中であり、空き家から空き地へ転換されている。建設業者によっては避難指示解除まで小高区内での住宅建設を請け負わなかった業者もあり、住宅の新築やリフォームも進行中である。 除染や解体によって生じた放射性廃棄物は、小高区内の仮置場に存置されている。双葉町、大熊町に建設中の中間処理施設の進捗次第で、当分小高区内に仮置場が存続し続ける見込みである。

5.人口回復と帰還意向の地域差

 南相馬市の避難人口の変化を見ると、2011年から減少しているものの、今もなお、市内で約4,000人、市外で約7,000人が暫定的な居住状態にある。一方、市全体の人口(市内居住者数)は回復傾向にある(2011年3月11日当時の人口は71,561人)。小高区内の居住者は2017年5月31日現在、1,914人となった。
 避難指示が解除され、避難元の環境が変化する中で、避難や再定住はいかに進行しているのであろうか。

▼ 表1 南相馬市の避難の状況(人)

 小高区内の行政区の一つ(KM行政区)を対象としたインタビュー調査により避難時の移動プロセスに着目すると、当初は広範に避難先が拡散したが、仮設住宅や借り上げ住宅の入居を契機として、避難元に近づくように転居する動きがある。その背景には、職場等の現実的な状況のほか、避難元の情報を得るためや避難元の家屋等を管理するためといった事情がある。
 こうした避難元への接近は、再定住においても見られる。復興庁、福島県、南相馬市が2016年12月に行った帰還意向調査(注3)によれば、避難元への再定住の意向が震災当時の住居以外に住んでいる回答者のうち30.1%であるのに加え、避難元以外の市内への再定住の意向が28.5%である。生活行動の連続、生活圏域の重複、生活空間の相似(注4)が実現しうる、「避難元近隣での再定住」が生じていると考えられる。母屋を解体しても納屋を残して、避難元で作業するスペースを確保する人々もいる。帰還/移住の単純な2択で捉えるべきではなく、避難元と行き来する生活を可能にする制度や支援を考えるべきであろう。
 一方で、帰還意向や実際の帰還状況には地域差も見られる。行政区別の帰還意向をみると、「震災当時の住居に戻った」は、0.0%〜26.2%、「震災当時の地区(小高区)に住みたい」は、12.5%〜58.1%の開きがある。津波被災を受け、災害危険区域に指定された行政区では震災当時の行政区への帰還意向は少ないものの、存在する。また、2017年5月31日現在の居住状況をみると、旧避難指示解除準備区域では居住率(居住者数/住民登録数)が21.78%であるのに対し、旧居住制限区域(現在でも小高区内で比較すると空間放射線量率が高い傾向にある)では11.06%である。
 なお、帰還した人口の構成は事故前に比べ、急激な高齢化が進行した点は、他の旧原発事故避難指示区域と同様である。2010年の小高区内の高齢化率が29%であった(国勢調査)のに対し、2017年5月31日現在の高齢化率は52%である。

6.生活基盤としての各行政区が抱える課題と取り組み

 筆者らは2016年7月より、南相馬市と共同で「小高復興デザインセンター」を設立、運営しており、その活動の中で地域の課題や取組の把握、地域コミュニティ再生の実践的活動やその支援を行ってきた。
 行政区は再定住後の生活の基盤として期待される一方、環境の激変により運営方法の変更の必要に迫られている。以下では、行政区が生活基盤として機能する上での課題を整理する。

(1)生産

 U行政区では帰還した農業者のグループが集落の非津波被災農地で営農を再開した。津波被災の復旧工事完了後の本格的な営農再開を目指している。KM行政区では、仙台に本社を構える農業法人と地元の農業法人が共同で主食用米の生産を始めた。O行政区では元酪農家のグループが飼料作物の栽培を行っており、地域の畜産を支える構想である。
 また、集落単位で太陽光発電パネルを設置する動きもある。個人の農地内の太陽光発電の収益の一部を行政区に納めるようにしている行政区もある。
 こうした生産再開の動きがある一方で、課題もある。例えば、震災前に比べ、鳥獣害を頻繁に被るようになっている。農地の管理放棄の可能性も今後高まる。現在は営農再開のための補助金により農地の維持管理を小高区内の2つの「復興組合」(注5)で行っているが、補助制度終了後の管理のあり方は不明である。U行政区では農地の管理組織の立ち上げが議論され始めた。
 津波被災農地では復旧工事が終了していない。また基盤整備を実施するか検討を行っている地区では、地権者が広域に避難若しくは転居していることもあり、結論が出ておらず、復旧工事を尚更遅れさせている。
 また、仮置場が当初の契約より長引いている。例えばKW行政区では放射性廃棄物の仮置場が比較的良好な農地に位置しており、地域の生産機能の回復の見通しは立っていない。農地除染の過程で土の入れ替えを行った行政区では、土質が農業に適当でないという指摘もある。

(2)土地財産管理

 事故前には道路や共有施設(集会施設や神社)の草刈りや農業施設の管理を行政区(若しくは行政区の営農組織等)の共同作業として行っていた。
 U行政区では2年前から行政区での草刈りを再開し、KM行政区では老人会の活動の一部として再開している。しかし、U行政区では参加者は年々減少しており、いずれの行政区でも大幅な人口減少、高齢化に伴い、同様の管理が困難になっている。

(3)文化的資源継承

 各行政区には、神楽や舞踊などの民俗芸能が存在する。行政区内の保存会等が毎年年始や行事等に演じていた。解除後の住宅の新築、改装に合わせ、各宅を神楽が巡る事故前の習わしを再開できた行政区もある一方、行政区の高齢化、住民の離散により継続が困難な行政区もある。

(4)生活扶助・交流

 行政区によっては、解除前から集まる機会を設ける試みは行われていた。KW行政区では息子世代を対象とした若者の集いを実施している。解除後は、行政区の集会施設等を利用し、定期的に集まる機会づくりが行われている。例えば、O行政区では、定期的に地域のサロン活動を実施し、合わせて農地に景観作物(ヘアリーベッチ)を植え、養蜂を行なう活動が始まっている。
 一方で、帰還を巡って行政区内にすれ違いが生じている場合もある。解除後には行政区内の活動を、既に帰還した人々、近々の帰還を予定している人々で担う必要が高まり、集落外居住者と集落内居住者を明確化しようという動きが行政区内で生じている。また、賠償と避難指示解除が結びつけられているために、放射能リスクへの姿勢の違いが住民間に溝を生んでいる場合もある(注6)。
 しかしながら、今後の地域の持続を考えると、集落外居住者は地権者であり、将来的な帰還の候補者でもあり、行政区と集落外居住者との良好な関係の構築は、重要な課題である。

7.おわりに

 行政区はそれぞれ集会施設、神社や民俗芸能を有しており、生産・居住環境の維持やイベント等を実施し、地域の個人や世帯の生活を支える重要な役割を担っていた。しかし、原発事故により、個人や世帯が避難、帰還/移住の選択を強いられただけでなく、個人や世帯の参加により成立していた行政区の自治活動も機能不全に陥った。行政区ごとに、特に役員や集落内に帰還した住民を中心に様々な活動が開始、継続されている(注7)一方、今後の行政区の持続的な運営にはなお多くの課題がある。長年の積み重ねの上に成り立つ仕組みであるが、環境の激変に合わせた組織や活動の見直し、外部や公的な支援が必要である。
 帰還意向の住民が少ない行政区でも、行政区の総会には避難先から多くの住民が参加しており、行政区の将来に強い関心、想いがあることが伺われる。避難元近隣の居住者、遠方の元住民と協力できる体制が、旧原発事故避難指示区域を住み継ぐ上で重要になるだろう。

注釈
1)立ち入りに制限はないが、(年末年始、お盆等の特例宿泊、解除前の準備宿泊を除き)宿泊は禁じられていた。
2)小学校は4校が合同で小高小学校の校舎で再開した。高校は2017年4月に小高商業高校と小高工業高校が合併し、小高産業技術高校として元の小高工業高校の校舎で開校した。
3)避難指示が解除された地域に住民登録していた世帯(3,746 世帯)の代表者を対象に郵送にて実施。有効回収数 2,407 世帯(有効回収率64.3%)、調査期間2016年11月21日~12月5日。
4)田中(2012)は「災害復興過程における再定住誘導の原則」の3つ目に「発災前後における生活行動の連続性、 生活圏の重複性、 居住空間の類似性を最大限確保する」を上げている。「避難元近隣での再定住」はこの原則に沿う。
5)2つの「復興組合」は、小高区内の農地保全・荒廃抑制を目的に、小高区の住民で組織される。1つは津波被害農地を対象とし、もう1つは放射能汚染農地を対象とする。ともに2012 年の警戒区域解除後から2016 年度までは国からの補助金で、2017 年度は県からの補助金で活動している。
6)決して放射性物質がなくなり、放射線リスクが被災前と同等になったわけではない中で、放射線リスクを理由に当面の帰還を断念し、その分の賠償を求めることと、ある程度放射線リスクが低下した前提の下で放射線リスクを理解した上で帰還することは、本来両立可能な選択肢であるべきだが、現在そのようになっておらず、住民の間に対立構造を生んでいる。
7)本稿では触れていないが、行政区の活動が避難生活を支える一面もあった。
参考文献・資料
太田慈乃(2017)「避難指示解除を経た原発被災集落の課題と可能性 ―福島県南相馬市小高区上浦における住民と行政区の関係に着目して―」 東京大学大学院学位論文(修士)
田中正人(2012)「災害復興過程における居住者の移動実態とその背景」神戸山手大学紀要, Vol.14, pp.109-127.
李美沙, 窪田亜矢, 萩原拓也, 益邑明伸(2017)「避難指示解除後の自治体の取組みから見えてきた課題 ―南相馬市小高区における行政区座談会を通じて―」日本建築学会学術講演梗概集
南相馬市「避難の状況と市内居住の状況」http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/sinaijokyo/hinan-jokyo.jsp, 2011年12月13日参照
南相馬市「避難の状況と市内居住の状況」https://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,853,58,html, 2016年4月12日, 2017年6月29日参照
南相馬市「旧避難指示区域内の居住状況」http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,35266,58,html, 2017年6月29日参照
復興庁, 福島県, 南相馬市(2017)「南相馬市 住民意向調査 報告書」