地域デザインをめぐって vol.20 “卒業研究”

卒業研究を振り返って

伊藤 智洋 + 永門 航 + 新妻 直人 + 窪田 亜矢

伊藤智洋:設計『Re-Union 次の「タワマン郊外」に向けて』
永門航:論文『都市計画道路の横断に伴う地域変容に関する研究:住宅地背景型・線的商業集積を例に』
新妻直人:論文『長期化した被災地集落におけるコミュニティの変化に関する研究:大槌町赤浜の公民館・談話室の分析を通じて』

卒業おめでとう!

1.どうやって対象、テーマを決めたのか。対象が先か、テーマが先か。

伊藤:僕が一番先に、すたすた決めていって、あとで苦しんだ感じが……(笑)。もっとちゃんと考えて決めればよかったと12月ぐらいに思っていた。
場所から入って、知っているところでやろうと思っていて、地元の近くで、おもしろそうで。昔と今、自分が物心がついたときと全然違うところと思っていた。窪田先生の3年講義のレポートのときに、所沢の超高層マンション地区を選んで、問題意識もありつつ、昔の街道筋から発達して、今は違う場所になっている点が面白かった。
場所だけ決めて、設計にするか、論文にするか、夏休み明けても悩んでいた。

– 一回論文にいったよね?

伊藤:9月の都市デザイン研究室との合同中間発表は論文で、その一週間前までは設計で、みたいな。
直前のヒアリングの結果で、現場で色んな取り組みをやっているのが面白くて、こっちをちゃんと論文にしたらおもしろそう、と思っていた。そういう取り組みを論文にしてあげることも大切。でも、直人先生の「設計でもいいんじゃないの」という一言がぐさっときて、、、優柔不断というか。

– 場所は揺らがなかった?

伊藤:気づいたときには遅かった、これでやるっきゃない、という(笑)。

– 新妻君の場合は、大きなテーマは決まっていた?

新妻:7月に先生と益邑さんと澁谷さんとで大槌にいったときに、被災地でやろうと決めた。決めたのはいいけど、9月の合同会議のときは発表がふわっとなってしまった。テーマがでかすぎて卒論ではやれないよ、と言われたのが辛かった。類型化して土地に迫っていくというのは、今、萩原さんが取り組んでいることにそっくり。今となっては、確かに(あの時点で数ヶ月で卒論としてまとめるのは無理だった)、と思うが。
そのあとの迷走っぷりがすごかった。現地に行って、データが集まって、それでようやく方向性が決まった。現地に行かないとはじまらない、遠いとか言わずに、、、そこは反省点でもある。

– データが集まって、といっても自分で集めたんだよね。

新妻:現地に行くと、こういうテーマかなという感じにはなってくる。びしっと決まったのは12月入って。
永門:隣で聴いていて、そういう方向性で具体化するんだー、と思った。新規性というのをよく指摘されたよね。
新妻:新規性は卒論でやるべきではなかった。
永門:やることを決めたあとで、解像度あげたいときに、既往研究は必要。
新妻:最初に新規性を追い求めた順番になったのは、ちょっとアプローチの仕方を間違えた気もする。
当初は、こういうテーマになるとは想像つかなかった。もともとはもっと空間計画的なアプローチをしたかった。

– で、永門君は?

永門:うーん、なんだったんだろう?(大きく笑)いつもああいう感じなので。これっていう具体的な対象もないし、場所ここがいいというのもない状態からはじまった。これかなというところで本を読んだり、深堀して、無理やり場所を決めて、落とし込んだ。
新妻:類型化みたいなことをやっていたよね。
永門:最初はしょうがない、たくさんあるところから絞ろうと思うと、いろいろあるな、というのをみて、じゃーここ、という選ぶ作業は必ず必要で。研究としてやるのは別問題。
窪田:類型化は研究の基本。

– テーマは揺らがなかったということ?

永門:分断というワードが出てきたのは、最初から。分断といって分断ではない、といわれたのは12月。
伊藤:「大きなデザイン(都市計画道路とか超高層マンションとか)による地域への変化や影響」というのはもともと言っていたよね。僕もその部分は同じだった。
永門:スケール感の違いという話をしていて、結局、そこにはいかなかったが。いろいろと何でも読んでいたのが、結局、手法として役にたった。
新妻:スペース・シンタックスといったときには、ヒョエーと思って聞いていた。
永門:手法が決まれば、時間をたくさん使ってデータセットが作れるから。
新妻:そこは本当に同感。
窪田:手法がないと苦しいよね。
永門:近場でヒアリングを入れずに、地図から取れるとか自分で調査できるとか、そういうのはデータ量をとれるのがよかった。

– ついつい聞きたくならずにやれたのは?

永門:中立的な観測者でいたいというのが何となくあって。本当は聞いたうえで、真ん中に立つのが良いのがよいと思ったが、敢えて今回は避けた。半世紀前の話になると、なかなか聞けないし。昔のことだから正確に聞くのは厳しいし、そもそも誰に聞けば、というのもわからないし。修論のときには逆に人の話を聞きたいなとも思う。

▲ 写真1-1: 普段の清潔だが殺風景で、人と建物の関係を引き離している公開空地の風景。ポテンシャルのありそうなところに広い空地があるならもっと何か手を加えればいいのにと思っていた。(伊藤)

▲ 写真1-2: お祭りで公開空地が舞台となっているときの写真。現地の人のお話を聞いたりお祭りに足を運んだりして、思い込みだけの設計が失ってしまう何か大事なものもあると痛感した。(伊藤)

2.やっていて一番辛かったこと

一同:いろいろあるよね。

新妻:現地に行った時が一番辛かった。物理的に。インパクトが強すぎで。強風と豪雨で、工事現場から何かがふっとんできたら死ぬかもしれないと思って一日過ごしていた。それが僕の中で強すぎるのかも。
伊藤・永門:そこ、、、(笑)
新妻:まじそれ。あとは、発表前日の三日前から、大幅な手直しを迫られたときの土日も厳しかった。その二つぐらいか。
永門:執筆は計画的にやっていたよね。自分がまだデータ集めをやっていたときに、そう見えていた。
新妻:執筆の時はうまくいっていたつもりだが、最後までそういくとも思っていなかった、結構変わりましたからね。(襲いかかってくるラス)ボスはいつでもいる、と。
伊藤:締め切りがあるということだからね。
新妻:今、こうやって数ページに論文をまとめてみると、大雑把な思考で来たのは否めない。卒業論文という量を書くと、ごまかせちゃう。それが今、思っていること、割と萎えています。
永門:パーツは揃っているけれど、それをどうつなぐか、というのがしっかりしていなかったなーという。それが最後の三日間で見つかってしまって、そこがヤマだったかも。
伊藤:発表練習あたりが辛そうだった、、、。

伊藤:僕は、悪いところで、場所だけ決めて、何を設計するの、という議論をひたすらして、先生と話していて「わからないねー」で終わっちゃったことがあって、本当にまずいなと思った(笑)。萩原さんとも話したけれど、提出前の一週間で、まだスタディ模型をいじっていて、あの隔離された部屋で一人でやっていたのも悪かった、行き詰まって行き詰まってもうだめという感じがあった。自分でも納得はいかないけれど、提出だから出すしかなくて、、、。発表練習といっても、ひたすら模型作るしかないし。
模型作りはじめると、何も考えずに、たくさんのヘルパーの方にお手伝いいただいて、こちらもしっかりせねばという感情もできた。ずっと先延ばしにしていたものが、今思うと、もっと前からやっておけばよかった。とりあえず手を動かしておくと何かしらできる、、、フィーリングでやってみて、あとから論理付けすることもできるはずだし。形にすることをやればよかったのかも。でも難しいよなという感じもある。
今回、何を作れ、というこれまでの演習でもないし、これからもし設計事務所に入ってもそういうことはなくて、クライアントがいるはずだし。何が必要か、どんな用途がどれぐらいの面積がいるのか、というのは難しい。
窪田:それがまさにアーバン・デザインであり、プランニング。
新妻:昔、伸さんも、それが都市工の卒業設計の特徴、とおっしゃていた気がする。即日設計あたりのころ。都市工でなきゃできないこと、という文脈だったかな。
伊藤:難しいけれど必要なこと、かつ、自分を苦しめたこと。設計の課題書をつくること、自体が面白い。面白いけれど、苦しい。そこが固まらなくて、先に行けない、みたいな。ボリュームスタディも、ボリュームが決まってからやるようなところがあるけれど、ボリュームを決めるような論拠があれば、前に行けた。
永門:その意味では、対象地が所沢の超高層マンション地区という周りのまちと違うところをやっていたから、容積率の根拠もあんまりない。
伊藤:そこは最後につっこまれたし。
永門:提案が、2階だろうと10階だろうと、インパクトが、他のところに比べるとそれほど変わらない。
窪田:途中のタイトルがまさに「凸凹」だった。現場は、未来都市という感じがあった。当時は楽しくはなかった?
伊藤:提出一週間前は、本当にやばかった。一時期、提出してから変更可なら敷地変えてもOKかとすら思っていた。
窪田:そこまで追い詰められていたって知ってた?
新妻:表情が、、、でも、みんな演習室ではそんなもんだったし。

新妻:で、永門は提出直前があれてましたよねー。
永門:基本的に決まらないというまずい波がずっと続いていて、それが一番辛かったこととしてあるんですが。書くときは、自分が満足いくように書けない、という思いもあって。普段は、自分なりの型にはまっているものは書けるが、新しいものやるとなるとできない。
窪田:確かに、永門君の文章へのこだわりは、とても伝わってくる。それはとても重要なこと。
永門:自分の納得いくように文章が書けないのは2、3番目につらかったこと。提出直前まで、枠組みが決まらず。
新妻:図をつくるのが大変そうだった、、、
永門:今とは違う地図をつくるのが大変だった。。
新妻:(具体的な図を見て)それだそれ。
永門:そのせいで作業時間の見込みが狂ったのがきつかった。一個どれ、というより。提出直前は、全部合わせて厳しかった。
窪田:欠乏という状態だったということか、、、それを防ごうと思ったら?
永門:早めに作業ができれば良いが、、、まだ決まっていないことに時間を使わないとならないので、それはそれでやりたいし。
窪田:手前で精一杯やるのと、未来にやるべきことをとりあえずやっておくことは、両方とも重要だもんね。
永門:体力的精神的には、それなりにきついけれど、こういうもんかなという感じではやっていた。一番きつかったのは、なんとなくこれやるというのが決まったあとに、場所を決めるときの、目的意識が決まらなかったとき。10-11月あたり。何もできないもどかしさ。テーマと場所の間をつなぐときの、ここやりたいかも、というのがぽんとある(と前に進めるという)のも重要。

▲ 写真2-1: 駅から徒歩10分でも賑わう商店街の風景。発表資料の表紙にも使用したくらいに印象的だった光景。(永門)

▲ 写真2-2: 平和通り:都市計画道路を挟んで彼岸と此岸。奥に見える賑やかさとこちら側の人気なさの対照。(永門)

3.卒研で得たもの

(笑)うー。

永門:完璧主義はほどほどにしないと痛い目にあうよ、と。これじゃないなーというのが決まらなくて、ドミノ倒し的に行っちゃったこともあって。学科の同期には良く指摘されていたが、最後までやるのは、偉いけどきつそう、と。思考力が奪われると進まない。質は大事にしてやっているつもりだし。
窪田:原田先生が誉めてくださったし、小泉先生も軽く二本分の内容があったね、というお言葉もいただいてた。
永門:全部やらないとできなかったし。あきらめずにやりきれてよかったものの、間に合ったのは偶然だった。あきらめはもうちょい早かった方がよかったのかも。本質的なところをもうちょい考えるべきだったような気も。ただやっているときは、これをやらなきゃという義務感もある。
新妻:まとめなおす時間はあるし。それで今回、まとめを深めるのは非常に重要。
永門:論文本体を全部書き直すのは正直厳しい。6pとか8pとかでまとめなおす方が練り直せる感はある。

伊藤:まずは一個敷地をちゃんと決めて、曲がりなりにも形にしたのは大きい。ヒアリングの話に戻るが、中間発表の前に、中心市街地活性化施設があって、地元の、テレビにも出るような有名人とお話しできて、一つの地域に関わって、詳しくお話しができて、現地には二桁は通ったが、じっくり関われるということを、できたのは大きかった。
一方で、まちに関わり過ぎると、設計においては、主観客観が近くなりすぎる感じもした。これをやると壊しちゃうというのが出てきちゃって。決断のさまたげになりがち。面白いこと、思い切ったことができなくなる。
永門:どうしても現状維持に傾きがち。
伊藤:そういう話し合いで得たものは多かったし、Facebookでも繋がっている。ただ設計やるんだったら、もっと客観的な視点が必要。そういうものが思える敷地設定が重要。中立の視点は、設計も論文も一緒なのかな。その過程はよかったが、鵜呑みにしないというか。
永門:こういう提案したいというのを、先に持っておいて、人の話を聞く、という順番もあるよね。持ってから、寄り添わせていく、というのもよいのでは。じゃないと何をしていいかわからなくなっちゃう。
伊藤:殺風景だよね、と話したら、お祭りでは使うよ、とか。もともとは地域分断みたいなことも考えていたが、マンション側も元からの住民も「分断からの埋め合わせ」みたいなものができつつあるというのもわかってきた。設計するのは、そこじゃないな、と思い、論文かなとも思った。
窪田:そこに気付かなかったら、設計者の思い込みの設計になっていた恐れもあった、と。
伊藤:行ってみないとわからないこともあるけれど。自分の思いを捨てないというバランスをとることが、こういうプロセスが必要。
窪田:主観と客観を往還するための三巡ぐらい必要だったということか。
伊藤:一個の思想のもとにつくるというよりは、長い期間をかけてやるべきことを短期間でやってしまったかも。
永門:課題だと思っていたことが課題じゃなかったというのは厳しい状態だと思った。論文ならお互いの溝の埋め方をできるかもな、とも思った。
新妻:あそこで一回論文に転んだのも良かったともいえるのでは。一回逆に行くよりも。

新妻:僕もやりたいことやるというのが大事。合同研究室会議のときには、既にやられた研究では?という質問ばっかりだったので、10-11月は新規性にとらわれすぎた感があった。設計の話では「地元の考えていることと自分のやりたいこと」の不協和だとすると、論文だと「やりたいことと新規性」の不協和かなという気がする。やりたいことがしっかりしていないと、悩みになる。何かしら新しいことは必ずある。この辺はやられているというのを削っているという作業。これは後輩に向けて伝えておきたい。
窪田:既往研究があったらまずは大喜びすべき事態、その先に行けるから。
新妻:やってみないとわからないものですね。失敗する場でもある、失敗していはいけないが、、、そんなうまく行くというのもないし。
手と足を動かすのは大事ですよね。向こうに行き始めてからばーっと進んだ。行くと、この辺みておかないと、となってくる。
それでは机上の空論になるし。そうではなくて、現場に行くことが都市工ならでは。B4が入ったら、さっさと行けとは言う。
永門:悩んでいると煮詰まっちゃうから。外の空気吸った方が良いし。
窪田:現地に行け、とは結構言っていたつもりだったんだけど、、、
三人:痛みを伴わないと実感ができない、、、(笑)
永門:行くんだからということで、情報を集めるというのもある。
新妻:被災地をやるとすると、コストがかかる、、、そういう面があると一概には言えないけれど。

▲ 写真3-1: 造成工事中の高台と、震災当時から残っている建物。(新妻)

▲ 写真3-2: 仮設住宅団地。生活感を感じられる。(新妻)

4.修論でやりたいこと

永門:空間をつくる方に寄りたい。
新妻:同じ。
永門:設計の前段階でこういう情報を集めるとこういうことがわかるというのが卒論だった。ここに手を入れるとこういうことがわかるというのをやりたい。
新妻:次に何か災害があったときに、修論の知見が活かせるところにはもっていきたい。被災地が前提になってますが、、、。耕作放棄地、空き地空き家も、いずれも広義の災害だと思う。
伊藤:がらっと変えて、海外に行きたい、東南アジアでやりたい。春休みにバンコクの調査に行ってみて、アジアと言うと、言葉とか行くコストとかハードルが高いイメージがあるが、意外と何とかなるというのもわかって、二年という時間があるので、じっくりやりたい。大きい動きが小さいものとか弱者にどういう作用をするのか、そういうものをやりたい。それは日本国内にも通用すると思うが、アジアの方が現象として大きいのではないかと、先日、バンコクの現地で感じた。歴史をみたりしているが、どこか一つ選んでできればよいと思っている。