地域デザインをめぐって vol.13 “修士研究”

修士研究を振り返って

柄澤薫冬+益邑明伸+李美沙+窪田 亜矢

修論発表が終わりました。

柄澤薫冬「まちづくり主体と復興関連被害に着目した阪神・淡路大震災から20年のプロセスに関する研究―芦屋市若宮町の復興評価を軸に、阪神間24面的整備地区との比較を通じて―」
益邑明伸「津波被災地における公設仮設施設の果たす役割 岩手県釜石・大槌地域の産業環境の変化に着目して」
李美沙「福島県南相馬市小高における東日本大震災からの生業再生に関する研究 避難指示解除準備区域の第2次・第3次産業事業所の事業再開に着目して」

修士研究に取り組んで、得たこと

窪田亜矢(以下、窪)──この二年間、修士研究に取り組んで、よかったことは 何ですか。
(全員、しばし沈黙)苦しいことしか思い浮かばない?

益邑明伸(以下、益)──パッと振り返ったら、苦しいことばっかり思い出されます。楽しかったのは、みんなで研究室で書いていたことや、夜中に一緒にコンビニ行ったことなど。好い経験にはなっているけれど。

柄澤薫冬(以下、柄)──辛いことがあったとしてもあれが辛かったというのが結構好い思い出になる。

李美沙(以下、李)──辛いこともあった。けど、好い経験といえば好い経験。器用にできたらとは思うけれど、自分なりにがむしゃらにできた。現地の人とつながりができたことはよかった。

益:──ヒアリングしていた頃を思い出すと、優しくしてもらったり、二回行ったら違う話聞かせてくれたり、そういうことはありがたかった。向こうが話すだけでなくてこちらのことを聞いてくれて最早インタビューではなく、対話になった。そこまでいくといい。想定できないことを伺えて、紙のアンケートでなくてよかったと思った。


▲多くの方々に支えられました。写真に残っているのは僅かで食べ物中心になってしまいましたが…(笑)。(李)


▲現地調査中に印象に残った風景。対象地についてまだ知らないことばかりだと思い知りました。(李)

柄:──でも、そりゃいいこといっぱいありますよ。一番大きいのは現地の人もそうだけど、阪神淡路の研究者、自ら動いている人たちと知り合って、話を一方的に聞くというレベルではなく「仲良くなれた」と思えること。向こうで20年間やってきた人と仲良くなれたのは本当によかった。被災者の人とはそこまで絡んでないけれど、一人二人ぐらいはこれからも飲みに行けそうなひとはいる。それだけでなくて、ただ東京にいたら知り合えない人と、徐々に会話が成立するようになって共通言語ができて、次に出てくるのが「これだ」というのもわかるようになってきた。その人たちがこれからどうなっていくか楽しみだし、こっちがどうなっていくのかも楽しみだと思ってくれるだろうし。他では絶対できないつながりができたことが一番好かった。いろんな人に2,3回は会った。


▲神戸や復興について20年考えてこられた都市計画コンサルタント・田中正人氏と共にまちを歩き、何度も何度も議論をして頂いた。(写真は東垂水地区にて田中氏発案の緊急避難サポート事業を説明頂いているところ。) (柄澤)

柄:──あとは、研究室のみんなで一緒に作業できたのもよかった。同じ時期に論文をやっているということでないと、味わえないものもあった。

益:──たまたま3人とも帰りが同じ方向だったり。

李:──愚痴や悩みを言ったり。論文って一人でやるものだと思っていたけれど、みんなから意見をもらって、それで考えるということを繰り返した。そういうのは自分に足りていなかったから、それができたのはよかった。

柄:──ここまで密にやれたことはよかった。みんながいるのが大きかった。

益:──言う方も大変だったろうな、と思うけれど。M1もそれぞれの考えで、意見言うのも大変だったろうし。


▲時に鍋を囲んでの息抜き(左)/修論生お手製の日めくりカウントダウン(右)(李)

研究の面白さ:研究だからこそ到達できる境地

窪:──修士研究に取り組むことで、自分の考え方が深まり、今まで考えていなかった考え方を得た、という点はどうですか。対象としているものを「あ、理解できた」と思った、つまりは、ユリイカみたいな瞬間はありましたか。だんだんリサーチ・クエスチョンが見えてきて、こういう問いに答えなきゃ、答えたいとは思っているけれど、それができない状況が続いて、しかし、有効な枠組みがあると「そういうことだったのか」となって一歩進む、みたいな展開。大きなことが一気に分かったというのはなかなか来ないけど、小さな理解に喜びを見出したり。

柄:──最初は、震災復興研究に取り組む気はなかった。M1のころは、プロジェクトとして関わっていた三国か神田と思っていた。今は、その逆で、日常からみた震災復興研究とは何なんだ、ということがちょっとわかった気がする。震災復興研究という枠組みを超えられた。震災復興やっているだけじゃないんだと思えた。

窪:──何がきっかけで、震災復興研究から入ろう、となった?普通は「え、震災?特別なことやる?」みたいになるけれど、そこをよく突っ込んでいけたな、と思う。しかも20年前の阪神淡路大震災に。

柄:──やっぱり環境ですかね。僕は、震災関係のプロジェクトである大槌も福島も関わっていないので、復興や研究室の皆に対する引け目みたいなのがずっとあった。

窪:──復興研究は、他のテーマから浮いてる感じがある。今、流行っていることを選ぶ人はたくさんいるけれど、復興研究も選びうるテーマなんだっていうことを広く強く伝えられていないのは私の反省です。

柄:──復興研究はテーマとして難しい。インタレスティングという意味の「面白い」ことは沢山発見できるものの、ファニーではない。他のテーマはファニーな要素がある。

益:──:たとえば商店街研究は人は死んでいないが、震災復興研究は亡くなっているので、そこは大きな差だと思う。

柄:──それは念頭にあって、だからこそどう突き抜けられるか。商店街研究は、たとえば空地だったらこういう面白い使い方があって、こういうメカニズムがあって、だからこう、という方法を求められている。震災復興研究は、そういうところから考えないといけない。

柄:──NHKの取り組みのようにビッグ・データとかアーカイブがあるけれど、人それぞれ違うというところで終わっている。実際、そうだし。

窪:──復興研究はなぜに特殊になってしまうのか。確かに人が亡くなるという現象は非常に重いが、たとえば阪神淡路大震災は20年前のこと。特殊性は復興が必要な事態は「起きない」と思っているから、自分とは関わりないことだと思っているからではないか。空地は自分の家のすぐ近くでも起きていて、そこを何とかしないといけない、というのは実感できる。 三人とも震災関係だったから、ファニーではないので、こんなことやって何の意味になるのか、という点を乗り越えられるほど、のめり込めてよかった。最初のうちは、とりあえずやってみないとそこまでいけない。


▲阪神・淡路大震災から21年目、御菅西地区にて。未だ大勢の人が震災を忘れず、復興の最中にいる。 (柄澤)

現場の共有経験をベースにした思考

益:──:2014年の夏休み明けまでは、東京の、特に湾岸をやりたいと言っていた。東京の自主防災組織から、東日本大震災になった。変えたのは安易と言えば安易で、プロジェクトが多くて手に負えなくなってきて、修論と重ねないと回らないと思ったから。

窪:──その時には既に産業復興だった?

益:──:それはもっと後で、例えば11月の京都大学との合同研究会@宮島の時は広域での復興を考えるということを言っていた。産業にも言及していたが、それだけではなかった。

窪:──11月の時は、山口敬太さんにも産業関係多いですね、と言われて、なるほどと思った。こうやって振り返ると、テーマを決めるのに時間はかかっていたことが分かる。決めてからは三人とも変わってない。

益:──:事業用の仮設施設に決まったのは2015年5月ごろだったと思う。その前の、M1最後の2月ジュリーは産業復興と復興計画、都市基盤整備の関係についてで、まだ仮設施設には至っていなかった。


▲給食向けのパン製造工場。仮設でありながら長期利用を見込んでいる。震災後にイートインスペースを作った。(益邑)


▲被災した小学校の跡に仮設商店街ができた。駐車場はイベントスペースにもなる。(益邑)


▲水産加工業の仮設工場団地。水産加工のためには物干しのスペースが必要。(益邑)

益:──:本人にとっては発表の意味はあるが、みんなにとっては意味がない、という状況だと思う。議題の設定は何通りかあるが、こういう風に悩んでるという発表だとだめだと思う。研究室会議の既往研究の共有については、自分のやっていることに関連するテーマのうち、結論が面白いものを共有していたが、それによって自分の研究にどう意味があったとか、どういう位置付けかとかが示せず、それが議論に活かせていなかった。あとは、自分なりに問題をこう理解しているという発表もしたが「それでどうしたい」っていうのがない段階でやっても聞いている人は困っているなと気づいた。困るだろうと思って持っていったわけではなかったけれど。

李:──:その場で答えられなくても、後から考える問いが研究室会議の議論の中にあるという事態がある。

益:──:一人でできることをみんなでやっているような気もした。回数が多いから甘えてしまう。

窪:──こういう反省は、研究室会議をやりながら話せばよかったね。

柄:──そう。ただ、その場で言わないといけない。反省を踏まえてこれで行きましょうというのは来年一年はできるけれど、その次の年は続かない。今回の一年を知らない人が入ってくるわけだから。

益:──:M1のときに発表して先生に怒られたのが今でも頭に残っている。前回と変わってないなら発表しなくていいと。

柄:──それを先生じゃなくて学生が言うみたいな。

益:──:そういう意識を周りの学生が持っているといい。

後輩・未来の自分へ向けて

– 後輩へ向けて

柄:──研究室会議以外でみんなと研究の議論ができていないというのはある。そんなにできていない。けれど、それはそれで好かったと思っている。会話が研究だけにならなくて、ちょうど好かったのかも。12月のスターウォーズ、ご飯、息抜き。そういう時間を大切にしてほしい。メリハリ。

益:──:頑張っていただきたい。相談はのりたいなと思います。先輩に相談できなかったから。

李:──:対象じゃないところに行く、違う人と話すことがよかった、諦めたところも多かったから、がんばって行くようにした方がいい。

– 未来の自分へ向けて

柄:──手を動かします。

益:──:研究をするんですけど、枠組みというよりはうまく筋をつくりたい、仮説を立てずに研究してしまったなと感じている。そういうものをまずはつくりたい。やってみて仮説を先に立てるのは無理だったが、徐々に立ていけばよかった。

李:──:考えずにやってみる、という性格なので、考えることから逃げない。

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地域デザイン研究室はじめての修士研究は、一人一人が、可能な全てを投入して得られた、それぞれの研究だ。全てを投入するというのはそれほど簡単なことではない。
同時に、多くの方々との議論や場所からいただいた力も不可欠なものだった。研究室のかけがえのない財産であり、さらに広く社会に投げかけて共有知にしていきたい。そう思える地点にたどり着けたと思う。
研究は、創造的な論理思考だ。着手したときには予想もつかない紆余曲折がある。その過程においては、一人の人間が事前に思いつくような浅はかな枠組みでは対処できるわけがないことを嫌というほど思い知らされる。一方で、僅かでも理解できることの素晴らしさを痛感する。 理解できた範囲を明確に限定してはじめて研究は成立するが、それは理解できていないことが膨大に広がっていることに気づくことでもある。
つまり研究とは、終わりのない世界であり、創造的な論理思考であり、それを維持する姿勢のことだと思う。
二十代の半ばで身につけた姿勢を一生持ち続けて欲しいと願っている。(窪田)

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おまけ:ツイートで振り返る修士研究