地域デザインをめぐって vol.10 “NEW YORK(2)”

ニューヨークのウオーターフロント開発の内側で起こっていること

諸隈 紅花

先月、5年ぶりにニューヨークを訪れました。リーマンショックによる不景気感が漂っていた前回の訪問時とは異なり、市内のいたるところで建物の建設や高級タウンハウスのリノベーションなどが進んで、経済状態が都市や界隈に与える変化の波を切実に感じました。とくにウオーターフロントでは、西側のハドソンリバー沿いの、使われなくなった貨物の高架を再整備して公園にしたハイライン、ロウワーマンハッタンのイーストリバー沿いの桟橋と遊歩道の整備を行ったイーストリバー・エスプラナード、1970年代にルイ・カーンによる設計がなされながらも、つい最近完成したルーズベルトアイランドのFour Freedoms Parkなど、今まであまり使われていなかったウオーターフロントエリアを市民が利用し、水辺の景観を楽しみながらくつろいだり、川からの風を感じながらランニングをしたり、対岸のマンハッタンやブルックリン、ロングアイランドシティの風景を眺めたりと、だれもが、「水の都市」であるニューヨークを楽しむことができる空間がいろいろな場所でできあがっていたことは、ニューヨークのまちの魅力が向上するという意味ではとても喜ばしいことでした。


図1
▲ハイライン

   
図2  図3
▲(左)イーストリバー・エスプラナード、(右)Four Freedoms Park

一方で昔からニューヨークに住んでいる友人たちからは、ニューヨーク市内のいたるところで起きている新しい開発が、まちの文脈を壊したり、ジェントリフィケーションを推し進めたりしていることに対して懸念を表明していたことも印象的でした。とくに今まで賃料が高騰するマンハッタンの受け皿として人気が出てきたブルックリン地区の開発が、ここ4年くらいで急激に進んだという声もよく聞かれました。

ブルームバーグ政権時代(2002-2013年)には、市場の需要が高い不動産開発を推進するために、ウオーターフロントの工業地帯が次々に住居系用途へとゾーニング変更がなされました。とくに近年変化が激しいのが、先述のブルックリンであり、より安い家賃を求めてマンハッタンから移り住む人が増えました。工業地帯に位置する歴史的なロフトビルなどが次々に住居に転用されたり、古い工場が壊されてどこにでもあるようなガラス張りのコンドミニアムが建設されたりするなど、ブルックリンのウオーターフロントらしいと考えられていた工業的な景観が変わりつつあります。Municipal Art Societyなどの市民団体の保存運動により、一部の建物(ドミノシュガーという元砂糖製造工場等)はニューヨーク市のランドマークに指定され、保護されていますが、ほとんどは歴史的な価値が把握されないままに、壊されるケースも多く、賃貸物件として居住している住人やアトリエとして使っているアーティスト、工場として使っている人々が追い出される事態を招いています。結果として、ウィリアムズバーグ界隈等は、マンハッタンや他の場所から逃れてきたより裕福な人々が住む場所となり、危険ではないものの、なんとなく荒廃していたエリアが、おしゃれなカフェや新しい建物が立ち並び、物理的な環境もそこにいる人も含めて変わってくることで、その地域らしさというのが薄れつつあるのも事実です。

このような状況下で、失われつつあるブルックリンという地域らしさの象徴である工業景観と、工業という営みそのものの保護を同時に行っているブルックリン・ネイビーヤード(Brooklyn Navy Yard,通称BNY)の状況を視察してきました。


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▲BNYの位置(Pratt Center for Community Development Report 2013)

BNYは1801年に、ブルックリンのイーストリバー沿いに、アメリカ合衆国海軍の最初期の5つの造船所の一つとして作られた、東海岸有数の造船所です。黒船で有名なペリー提督が一時期ここに住んでいたこともあり、日本とは縁のある場所でもあります。第二次世界大戦期に最盛期を迎え、戦後は造船自体の需要の低下や製造コストの上昇等の理由により、1960年代に閉鎖されました。その後は、ニューヨーク市が所有権を国から買い取り、運営をNPOに任せて工業団地として再生しようと試みたものの、その運営が起動にのり、ニューヨーク市もインフラの再整備などに投資を行い、雇用数が増え始めたのはここ10年ぐらいのことだそうです。敷地面積は約300エーカー(約121ha)と広く、ブルックリンのウオーターフロントの大きな位置を占めています。


図5 図6
▲(左):1898年のBNYの内部の写真 (Library of Congress websiteより) / (右):BNYの入り口の看板 「昔は船を作っていたけど、今はビジネスを作っている」

BNY内部は普段は工業団地ということもあり、一般の人は入れませんが、いくつかあるゲートの近くの歴史的建造物を修復・増築して博物館や周囲のパブリックハウジングの居住者や退役軍人に仕事を紹介するリクルートセンターを兼ねたビジターセンターに整備し(図 7)、週末にはBNYの中を案内するツアー(敷地が広大なのでバスでまわります)や、現在のテナントの一つのウィスキー蒸留所を見学するツアー(図 8)、その他の代表的なテナントを訪問するツアーやヨガ教室などが提供されており、今までは閉じられた場所であったBNYを一般の人にとっても開かれた場所としようとする努力も見られました。


図7 図8
▲(左):ビジターセンター / (右):ウィスキーの蒸留所として使われている建物(元々は造船所と働いている工員への給料を支払うための施設だった)

私は全体を2時間かけて回るバスツアーに参加しました。内部には6つのドライドック(まだ現役で動いているものもあります)、病院、海軍兵や将校のための住居、工場、倉庫など様々な種類の歴史的建造物が残っていました。休日のため、残念ながら建物の中には入れませんでしたが、歴史的な建物の外観を生かしたまま内部を小さく区切って、アーティストやハンドメイドの家具製造業者にレンタルするスペースとして使っている建物もあれば、現代的なイベント会場や作業場として使いやすく再生するために、歴史的なインテグリティは犠牲にして、ほぼスケルトンまで解体して再生しているものまで様々でした。また、21世紀にふさわしい「エコ・インダストリアルパーク」を目指すということで、グリーンビルディングの認証であるLEEDの認定を受けた新築の建物などもあります。敷地の一部は、スタイナースタジオというテレビや映画の撮影のためのスタジオとして、開発・運営をした業者にリースされており、そのエリアでは実際に撮影隊にも出くわしました。博物館の展示から、BNYの現在のテナントは、従来のブルックリンの中心的な産業であった造船や海運関係という重工業というよりは、世界的なアートやエンターテインメントの中心地であるニューヨークへの地理的な近さを生かしてアーティストのスタジオ、インスタレーション業者の作業場、絵画の保管庫、小規模なパッケージ工場、ハイエンドな家具を作る木工所やドレスメーカーなど、どちらかというと小規模で、かつニューヨークという市場に適した、騒音や排気を振りまかないクリーンな中小規模工業が集積しています。

 
図9 図10
▲(左):ドライドックからマンハッタン方面を眺める / (右):1838年に建てられた米国海軍病院。1965年にニューヨーク市のランドマークに指定されている。(現在は廃墟だが、スタイナースタジオとして再開発される予定)

 
図11 図12
▲(左)1863年に建てられた外科医の家。1976年にニューヨーク市のランドマークに指定されているが、今は廃墟の状態で中への立ち入りは禁止されている / (右)歴史的建造物をスケルトン状態まで解体して再生した事例

一般的な歴史的建造物の再活用に見られる商業施設や住宅への転用とは異なり、BNYは徹底して「働く場所」としての用途を保っているため、敷地全体が工業地帯に見られるような、いい意味で、汚くて、雑然とした景観を保っていることが大きな違いであり、市場原理に流されれば、ジェントリフィケーションが進んで、住居や商業施設になり、安全だけどどこか「きれいすぎる」景観とは異なるものを生み出していると思いました。


図13 図14
▲(左):BNY内の新築の建物 / (右):BNYの内部の風景

2時間のバスツアーの後、BNYの敷地の周囲を歩いてみました。周囲には19世紀前半に造船施設ができたときに、スキルの高いアイルランド移民を働き手として誘致するために作られた住宅街(ビネガーヒル)や、戦後にBNYの工員のために建てられた公共住宅がある一方、自動車修理工場や使われていない歴史的な倉庫などがあり、今でも住工混合なエリアである様子が見てとれ、良くも悪くも全体的にはまだ変化の波に洗われていない印象を受けました。但し、映画スタジオ施設であるスタイナースタジオに近いゲートの前に直行する通りには、ちょっとおしゃれなコーヒー焙煎所を兼ねたカフェやニューヨークでは大手銀行のChase Bankの支店ができていたりと、業界人をターゲットにしたと思われる小さな変化の芽も発見できました。休日のためか、人通りは少なかったものの、前面道路にバイクパスも作られているため、自転車交通は頻繁で、それほど寂しい感じはしませんでした。

 
図15 図16
▲(左):BNYのゲートの外の風景、歴史的な倉庫などが残っているが、使われていない建物も多い / (右):BNYのゲートの外にできた、おしゃれなコーヒー焙煎所兼カフェ

ブルックリンは歴史的に工業のまちであり、工場などの職場から歩いて通える範囲内に人々が住んでいたという固有の性質を持っており、空間だけでなく、その空間で行われていた営みやそれに従事していた人をも守ろうとするニューヨーク市の取り組みは、市全体から見ると非常に限定的ではあるものの(実際には、ブルームバーグ政権時代に行われた、工業地域の住居系地域へのゾーニング変更による住宅開発ラッシュにより、工場等が次々と消え、伝統的に移民の人々がアメリカで成功をするためのかてとなっていた、比較的賃金の高いブルーカラーの職が減少し続けているという現実もあります)、大都市に住む人々の多様な生活スタイルを表す景観を維持する一つの方策として、BNYは興味深い事例なのではないかと思いました。

参考文献

1)Pratt Center for Community Development, “Brooklyn Navy Yard” (report), February 13, 2013,
http://prattcenter.net/research/brooklyn-navy-yard

2)The Library of Congress, Photos,
http://www.loc.gov/photos/