地域デザインをめぐって vol.03 “コンペ” 

赤塚公園から板橋を変えていく試み

伊奈ゆう子 + 嶂南達貴 + 西牟田章士 + 深町知貴

この夏、伊奈(地域デザイン研究室B4)と同期の嶂南、西牟田、深町の4人で「第1回関東学生景観デザインコンペティション」に参加しました。
題目は「崖線の地形を活かした景観デザイン」という自由度の高いもので、対象地は、武蔵野台地の北縁に位置する赤塚崖線の一部である板橋区赤塚公園でした。
6月末の1次審査には27作品の応募があり、その書類審査を通過した6作品の作成者らが、9月28日の最終審査会でプレゼンテーションを行いました。
前半は壇上で、後半は区民審査員の皆様との対話型でのプレゼンテーションでした。4人にとってはじめての対外試合で、どちらも非常に緊張しましたが、考え抜いたことを大勢の方に対して発表し評価して頂く経験はスリリングでした。また、綿密に調査してきた対象地の住民と直接お話しできるという機会も初めてのことで、審査という目的を忘れて思わず語り合ってしまう場面さえありました。
審査の結果、念願の上位3点入賞はできず佳作となりましたが、板橋区長賞を頂くことができました。
反省は尽きませんが、この場をお借りして4人それぞれに今回の経験を振り返ることを通して、今後も胸にしまって活かしていけるかたちにまで整理してみたいと思います。

1 提案の概要:住民が崖に親しむプロセスをデザインする

崖線が凍結的保存(フェンスによる日常空間からの隔絶)されたことから、住民が崖線の存在を認識しなくなっていることを問題視し、住民の意識から変えていけるような提案をすることを目的とした。
崖線に親しむにはどうしたら良いか、ということを考えた結果、利用と関与という二つの関わり方が導きだされた。これらを促す仕組みとして、①ハード的な動線整備と②崖線への関与を高めるためのプログラム化された2つの会議、の二つが連携したものを提案し、自然と人間の全体系が再構築された未来像を描いた。

赤塚公園の崖線は、旧来より人の生活と様々な形で関わりながら存在してきた。その歴史と裏腹に、戦後の団地開発などを経て、希少種保護を名目に一部がフェンスで覆われ管理の主体が限定的になり、崖線の存在に対する人々の認識とが薄れていることを問題視した。そこで、区民が崖を自らのものとして捉え、自然と人間の全体系が再構築され、再び関わりあう未来像を描いた。

現地調査を経て、崖が南北の分断を引き起こしている状況などを確認すると共に、人が崖線の価値を再び実感するにはどうしたら良いか、ということを考え、議論を進めた結果、利用と関与という二つの関わり方が導きだされた。住民が利用を重ねていくうちに、崖に積極的関与をするようになり、徐々に崖の価値を捉えなおすとともに、主体として価値を再構築していく、というものである。これらを促すシステムとして、
①ハード的な日常利用の動線・広場の整備
②崖線への関与を高めるためのプログラム化された2つの会議【ケモノ会議・みらい会議】を設定した。


▲一次審査提出物(締め切りの15分前まで)


▲当日発表したプレゼンテーション

2 メンバーそれぞれによる振り返り

センスの民主化によって景観の不確実性に対処する
―住宅・都市解析研B4 嶂南達貴

コンペを通じて考え続けたこと

今回コンペという機会を通して我々が考え続けたこととは、「景観の不確実性」である。ここでいう不確実性とはすなわち、以下三点を指す。
①入れない領域が多く、行政資料を活用しても十分に対象地の情報を得られないこと。
②全てが常に変化し、毎日、毎年姿を変えるために、将来を予測出来ないこと。
③構成価値を分析する際、その物理的境界や価値を所有する主体を特定できないこと。

このような景観の不確実性はどのような地域においても付きまとう問題ではある。しかし今回の対象地では特に、北側で最大高低差40mという崖線の暗く急な斜面によって戦後の都市開発の波を逃れたことで、長い時間をかけて様々な存在が互いに関わってゆく中で形成され変容してきた複雑な価値が残存しており、「都市」というシステムによって不確実性を取り除くということが困難になっているのであった。
そういう不確実性を見つめるなかで次のことを崖線の本質だと考えた。すなわち、1000年に渡り神社神主と氏子の連携のもとで保全されてきた武蔵野の雑木林や、市民活動によって調査・保存されてきた貴重植物の群落、明治政府により消し去られた足利尊氏との所縁を持つ土地の記憶、屋敷林から田遊びまで有形無形に残る農村の風土など、スケールの異なる様々な有形無形の価値同士がそれぞれ連関しあって、入れ子状態になりつつ、モザイクになっている様相である。そして我々は、このように一義的には捉え難い崖線と向き合うことを通じ、設計者としていかに不確実性に対処するべきか、態度を自ら問うことになったのであった。

設計者として不確実性に対処する姿勢

では、我々は設計者として、どうやって不確実性に対処してゆくべきなのか。それには当然設計をする目的を持って、不確実な未来を捉えることが重要だろう。しかし、公園のような公有地においては、安易に設計目的を掲げる事自体に疑問を投げかける余地が発生すると、我々は考えた。その公共性がゆえである。そして、デザイナーの目的、即ち理想の景観を描くということに対しても、同様に批判的な態度をとった。尚、これは特に、景観に対するリテラシーが低い一般市民の景観に対する理解と、デザイナーやプランナーとの意図の間には乖離が起こっている、という実感から出てきたものであった。このようにして、我々は不確実性に対処することの難しさに直面したのであった。
ここで我々は、問題の本質が、誰か特定の人間が持つ目的や審美観をもとに作るものを、公共の土地に据えようとする態度にある、ということを考えたのであった。そしてこの乖離をなくすことを目指すこととなった。

設計者のセンスを民主化するメカニズムを

本当に重要なことは、一人ひとりの人間が自分の主観の中で、見えてくるものに自分を重ね合わせてゆく、能動的な経験である。そして、このような崖線における個人的な経験を通じて様々な価値を抱握する為の契機として、景観という現象が位置付けられるのではなかろうか。また、崖線の不確実性に向き合うべきは行政だけでなく、崖線によって恩恵を受ける個人自身であろう。故に、我々が生み出すべきものは、個人が各々の目的や関心に基づいて崖線と関わり、そして責任を持って管理・保全していけるような、物理空間(「景」)とその感じ方(「観」)ではなかろうか。
我々はこのように考えて、一義的には捉えられないことに崖線の本質を見出す、我々4人の視点やセンスを民主化しすることを目指し、ここに区民参加型の景観形成を提案する意義を見出した。そして、物理的空間と個人的関心の間に立ち現れる景観について考えるための議論に「関与」という概念を投入し、その関与の痕跡を「ケモノミチ」(道とは限らない)と名付けた。ケモノミチを辿ることを通じて、そこから立ち現れる他者や生き物の息づかいを感じながら、自らも痕跡を残して行く。そのようなことを可能にすることが我々の提案になるのだと考えた。

ケモノミチを実現する為に足りなかったもの

では、一体何によってケモノミチが実現できるか。また、崖線と人間の関係性は、いかにしてこのような状態に移行できるのであろうか。その詳しい内容は提案の内容に関する話は別項に説明があるためここでは割愛するが、以上のような考えに基づいた提案を打つには、空間、関心、景観、関与という概念同士がどのように関係し合っているか、概念の構造化を行うだけでは足りなかったのだと思う。他の提案者とは一線を画した崖線の捉え方を掲げるということに甘んじる姿勢があったが、単に構造化された捉え方を持つだけではなく、それをもとに現状や趨勢案、理想像を整理し、何をどうのように変えるか、ある種の潔さみたいなものを持って明確に示すべきであったのだろう。
区民参加型であろうとなかろうと、どのような景観論・計画論も、区民の側からすれば無数にあるオプションの一つにすぎない。どんな理念を打ち立てようが、何も作らなければ何も変わらない。また、今回のような直接的に目標像を示さないメタな理念を掲げる時も、そこで何か変化が起こることへの確信を生み出さねば、結局は誰も動かない。そして、区民にとって身近なレベルでの変化を示せないなら、そのような提案を選ぶ者など当然いない。その結果、小さくとも確固たる変化を生む他の提案に負けたのであった。
ただ遠く大きな未来を構想するだけでなく、プロジェクトのスタートアップに必要となる空間と制度を設計し、そこで何を起こすのか、明確に予期しておくべきであったのだろう。

これからを見据えて

反省すべき部分は大いにあったが、負けたとはいえ、そういう態度を持ってやりきったこと、そして理念をしっかり詰めてモノをつくっていく機会がなかなか今までなかったなかで、リサーチを踏まえいろんな人の意見も聞きながらも、自分たちの価値観や信念を持ったままモノを生み出すという態度をもってやりきったことは、悪くなかったと思っている。それを公的な場所に出したという成果は自分で認めてあげるということは大事だと思う。やりきった結果として見えてきたものもある。「こういうものが本来有るべきなんじゃないか」という態度をもとに、それに適合するものを生み出すための、自分たちにとってのプロトタイプになる、理念と心構えを生み出した実感がある。
ブレストしていく中で、都市工という枠組みの中や、あの場では作り出せないものが多く出てきたが、それを一つの論理を以てではないにしろ4人のもつ共通部分として作ってきた。それらがプレゼンテーションに耐えうる一貫性を持っていなかったことや、今回の場がそもそもそれらの内容を提示すべき場であったかどうかはこれからも見つめてゆくべきだろう。だが、ブレストの中で出てきたジャストアイデアや今回提案し提唱してきたこと、そして地域を抱握した時の感覚を大切にして行こうと、心に誓う。

「まち」を扱う提案者とは
―国際都市計画・地域計画研B4 西牟田章士

提案概要でも述べたように、私たちの提案の中身はビジュアル重視の提案へのある種反発から入ったもので、そこから議論を幾度となく重ね提案した、住民の関与を促していく「ケモノミチ」は、啓蒙対象たる区民なくしては成り立ちえないものとなりました。我々の提案の良さ/強みは、「誰がやるの?」という主体を明確にでき、実現に至るイメージを持ちやすいことである、と思いながらプレゼンテーションを行いました。終了し、結果が出た今、「誰が」という部分に今一度焦点を当てて考えてみたいと思います。
一般に都市工学では「提案」を行うことが一つの研究成果であり、学科の演習でも最終発表が「提案」であったことからもそういうものであると推し量られます。
マスタープランなどは描く主体が公的機関であり、作る目的も時代の変遷はあれど確立していますが、それに対して今回取り組んだ’崖線の景観デザイン’はどのような主体を想定すべきだったのでしょうか。
「区政に対する学問分野からの1意見」という位置づけだとすると、建造物やインフラ整備などを経て、完成した景観の将来像を提示するタイプの提案を行った場合、提案された空間像の一部もしくは全部を行政が採用すると判断し、その将来像を実現するための投資や工事を行っていくことになります。そのようなものと比べ、我々の提案を実現に持っていく場合、部分を切り取って実現する事は困難を極めます。特にその提案の先に「行政」「区民」の両者を見据え、両者に対して十分に具体的な実現までのプロセスを示し、同時にモチベートする流れをデザインし。それをプレゼンで余す事なく伝えることが必要であったと強く感じました。
ここでは我々には、「提案者」というある種「言いっぱなし」の存在ではなく、計画を押し進めていく事業家的側面が必要でした。結局のところ具体度を高めるべき、という話である程度落ち着くのですが、その具体には区民との意識共有も含まれます。その意識共有を考えた時に、最終審査までの議論、対話型プレゼンテーションの場などを通して、改めて我々の考えた内容と区民の意識との相違を感じざるを得ませんでした。
特に、都市に関する議論でよく使用される地域の「資源」「課題」といった語に対して抱いていた若干の違和感、虚無感に関してはいささかの思考を進めることができたように感じます。

思うに、まちにあるものをポジティブに使用し尽くそうとする姿勢自体は計画者・提案者としては最善であり、それを通して住民に気付きが生まれる事も事実ではあります。ただ、そこで計画側が「資源」「課題」というポジティブ・ネガティブなラベルを地域分析を深化させずに安直に貼ってしまうと、認識のギャップが生じて住民側に「気付き」とは異なる違和感を与えてしまう原因となるような気がしてなりません。
住民側の考えの根本に現状肯定的発想がある場合、既存のものを何でも「おれ達はこれも良さとして捉えたうえでまちに住んでいるんだ」と考えてしまう場合があります。このような姿勢に自分も陥る事は多々ありますが、それは主観的に自分の住むまちを見るという行為に関して、字面は両極端ではありますが、ある種の行き過ぎ、あるいは思考停止であろうと考えます。こういった地域に対してのモチベーションが硬直化してしまった層の住民をどうしようか、というところに都市工学的なアプローチをかけるならば、
1. 「地域資源」という言葉の認識を計画者と住民が共有するまでは、一方的なピックアップを行ってはいけない
2. その共有の場をこれまで以上に緻密に設定する必要がある
3. それまでは「地域にあるもの」というニュートラルな視点を持ち続ける
ということが今後求められるのではないか、と感じました。
そのようなニュートラルな地域把握手法が確立しているか、またその指標はどこにあるのか、ということは分かっていない上に、場のデザインのための知識・経験も現状持ち合わせていません。このような考え方の是非も含め、これを良いきっかけとして更に学ぶ機会を設け、今後の大学院での学習を経て精進したく思います。

没頭から何を生み出せるか
―地域デザイン研B4 伊奈ゆう子

議論し尽くすということ

コンペに向けて初めて4人で集まった時にまず、議論について「それぞれがテーマと対象地域について突き詰めて考え、それらを徹底的にぶつけ合っていこう」という姿勢を共有しました。この理由のひとつには、これまで何度も行ってきた学科のグループワークの演習において、徹底的に議論し尽す試みが(知識不足、価値観の違い、といった言い訳付きで)ほとんどいつも頓挫してきてしまったことへの悔しさを昇華したかったからです。そしてもうひとつには、粘り強く徹底的に議論できること自体が、都市工学を学ぶ者としての、都市空間への提案に必要なスキルだと認識していたということがありました。

そうして議論ベースではじまったチームワークでしたが、やはり端的には「議論するのは難しかった」という感想です。今回、私が大きな障壁として感じたのは「言語」でした。
思考の構造の違いがメンバー間で大きくばらついていると、互いにうまく意思疎通できないということがあります。経験もモノの見方も、頭の中で使っている考え方の枠組みもまったく違う人同士が、同じ概念や同じ空間について語るとき、それぞれの人はどうしても自分の言葉でしか話すことができないということです。それは同じ日本語とはいえ、もはや違うルールで組み立てられた違う言語のようなものです。言っていることが伝わらない、相手の言う事が分からない、……あまりに初歩的なつまずきだと思われるかもしれませんが、異なる分野を専門とする人同士が場を共にして議論するとき、今後も多かれ少なかれこのような苦労をすることになるかと思います。

しかし粘り強く互いに聞き返しながら議論を構築していくとき、だんだんと場、チームにおける言語が形成されていくのを感じました。自分と相手がどういう思考回路を持っていて、それをどのくらい共通の語彙で翻訳できているのか、という辺りがつかめてきて、ここからやっと論を組み立てていける、という喜びがじわじわと感じられた記憶があります。今回の私たち4人の場合、未熟だからなのか頑固だったからなのか、分かりませんが、ここまでが非常に長かったと感じています。

議論はよくキャッチボールに例えられますが、投げる人も受け止める人も、思考回路と言語の相違に対してつねに緊張感を持っていないと、議論はデッドボールの連続にしかならず、伝わらない虚しさだけでへとへとになってしまいます。なるべく理解されやすい言語に変換して投げる努力と、多少取りづらいボールであってもうまく処理して受け止める努力、この双方の努力が、論を積み上げるためのカギになるものと感じました。

あえてこの比喩に引き寄せてみると、コンペにおいて提案するという事は、ドッヂボールのようなものでしょうか。コンペであれば審査員に対して、ぴったり狙いを定めてボールをぶつけたら勝ち、届かなかったりコントロールが狂ったり、よけられたりしたら負け、それだけです。なんとなく物足りなくもありますが、一方通行でしか投げられない機会においてしか生み出せない価値もあるということも事実だと思います。この一方通行の構造こそが、デザインという言葉の中にある潔さの正体ではないかと思っています。

調査にのめりこむこと

初めてのコンペだったからこそ、「コンペにしては頑張りすぎた」と思われることがいくつかありました。その一つが、対象地域の現状についての調査です。
例えば私は、提案の下敷きとして植生のスタディーは不可欠だと考え、現地調査と航空写真に加えて公園協会を訪問して毎木調査の報告書などを複写させていただき、植生および希少種の分布を地図に落とす作業を行いました。また1次審査通過後は全員で、合計4人の地域の方々にヒアリングを行いました。神社の神主さんや市民活動家の方などにお話を伺い、とある一日はそのうちの一人の方に崖線を案内もして頂きました。

まず地域を知らなければ!と駆り立てられるように行った調査は、提案に落とし込むことを必ずしも前提としていなかったため、実際に提案に結びつけられた内容はわずかだったように思われます。その点については、とにかく提案するモノ・コトにつなげることを前提として調査を組む、という割り切った計画を持つ必要があったかもしれない、と反省しています。しかし一方で、まず体当たりの調査があり、そこから提案を紡ぎだす、という順番においてこそ、つまり“無駄足”と思われるような調査においてこそ、よりリアルに、また自分たちなりの感覚で地域の実態ががつかめたとも感じています。とくにヒアリングについては、日々希少植物の保護に携わっている方の粘り強さや細やかな気遣いが知れたり、どれだけ資料を漁ってもなかなか見えてこない地域の方々の「思い」の部分にも触れることができた、貴重な時間でした。

反省しなければならないのは、その貴重な時間にひたったことに、満足してしまったことでしょうか。せっかく地域の方々にお時間を頂いたのは、私たちチームメンバーが“貴重な経験”をするためではなく、地域に対する提案を磨くためであったはずでしたが、調査を重ねる私たちには、地域について真剣に考えること自体に没入、さらにいえば陶酔するようなところがありました。その陶酔のせいで、デザインする立場から客観的かつ合理的に地域を見つめ、ツールを埋め込む、という大胆さを失ってしまったかもしれません。

また同時に、もっと捨て身で地域の方々の思いや感情の部分に肉薄し、感覚的にとらえたものをそのままに形へ昇華させるくらいには、赤塚という地域に感情ごと浸ってみたかったとも思います。他チームでデザインされていた構造物の多くは、実際にはそうして地域と製作者の想いを重ね合わせたところから生み出されているのではないか、と感じたからです。合理的につきつめることと、まったく理屈抜きに全感覚で人々と空間を受けとめることを並行していくときにどういうデザインに辿り着くことができるのか、このことは、次の機会に試してみたい課題です。

個人的には、かなりの時間をかけて地域を調査したことについては、細部にとらわれていたり時間の無駄にあたる点はあったかもしれませんが、そういう小さな失敗も含めて今しかできない貴重な調査体験だったと感じています。しかし地域に入り込むことが、調査の意図と反して、地域特性をつかむことをよけい難しくもさせる、という気付きは、今後新たに注意していこうと学んだ点でした。

人に伝えるために
―都市デザイン研B4 深町知貴

グループで作業するということ

今回最も難しかったと感じたものは、グループで作業するということです。今回のコンペでは、4人で一つのグループとして参加しました。まずは景観とは何か、景観を提案するとは何かといった根本的なところから始まり、どのように提案を見せるかというような具体的なレベルまで多くの議論を重ねました。もちろん、なかなか使う言葉や感覚が上手く共有することも難しかったのですが、役割分担というのが大きな壁であったと思います。4人でやっていたため、作業を分担する必要がありましたが、その分担の仕方や各々が作ったものの共有などもっとうまくできたのではないかとあとから考えると思います。

見せるということ

今回のコンペの一番大きな反省点としては、最終的な提案の形だと思います。僕たちの提案したものは、景観を住民自身の手で作っていくための公園の運営の仕方と、それを支えるための公園のハード面での設計でした。提案の流れとしては、まず公園の中に生活動線を取り入れ、その中で最初は少ない人数で運営会議をやることで、実際に崖線に対する人々の取り組みを崖線を利用する人達が認識することでより多くの人が崖線に対して積極的に関わっていくようにする、というものでした。
結果が出て考えてみると、この流れを生み出すための論理が弱かったのではないかと感じます。
全体の流れの要所要所が推測、というよりも「そんな気がする」程度の論理であったように思います。都市工での演習の度にやってしまう学問的、専門的と言ってよいのか分からない内容の提案には今回はしたくないという風に思いながら作業を進めていましたが、最終的にはいつものような形(いつもよりはいいと思いますが)になってしまったのが、今回の大きな反省です。誰が見ても納得できるような論理を立てなければ、人を納得させることはできないという当たり前の事実を再認識しました。

議論の中で、形ばかりカッコよくした自己満足な建築物は作らないようにしようということをまず全員で共有しました。奇を衒うばかりで、持続性や実現可能性を無視したような、自分の芸術性を誇示するための建築物ではなく、その土地、地域にあった、今ある問題を解決するための地に足をつけた提案こそが、工学部に所属し、大学という学問の場にいる自分たちに求められることだと考えたからです。しかし、人の評価軸は、中身だけでなく、むしろ出来上がった「物」が1番大きいということを失念していました。他のグループを見てみると、ポスターやプレゼンのスライド、模型など、1番外側における完成物の質が非常に高かったです。また、提案を実際の形、それも多少芸術的な方向性を持った形として提示していたのが印象的でした。これは、初めて対外試合を経験して分かったことですが、普段から本質的な議論に重きを置きすぎるのは、都市工ならではの特徴なのだと思います。やはり人に伝えなければいけないものである以上、概念的な話に終始するのはあってはならないことだと思います。もちろん外側ばかり磨いてもそれは空虚な物が出来上がるだけだとは思いますが、人に自分の考えを伝え、納得させるためには、中身だけではなく、最低限見せる物の綺麗さは必要になると痛感しました。

全体として、人を納得させるものを作る、というごく当たり前の意識が足りていなかったように思います。自分が納得する提案であることはもちろんですが、それだけでは不十分で、事例などからより客観的な事実を追い求めていくというような努力によって、誰が見ても納得できるようなものを目指していかなければならないと思いました。

3 ほとぼりが冷めてからもう一度集まってみた

全員それぞれ反省をしたあと、後日全員で集まり、グループえとして話し合った結果、次のような反省点があげられました。
1. 仕組みの前提となる、利用による関心と関与意識の形成プロセスに現実味がなかった。特に、設計空間自体が意識を変えるということの必然性や論理性が不足しており、説得力が乏しかった。
2. 会議を提案するにあたって、どこまで具体的に提案すべきか葛藤があった。
地域に暮らす人々の意思を反映して景観を形成するしくみが必要だと考えたから、あんまり具体的なことをこちらからおしつけるような提案にはしたくなかった。その一方で、もう一歩具体的に、主体が誰なのか、どのようなルールを決めるのか、それともルールを決めるべきではないのか、この会議はどのように運用されていくのか、といったような具体的な部分での提案をすべきだった。
3. 提案者として、区民、審査員といったクライアントの期待するものを作れなかった。自分たちが良いと思うものを、相手も良いと思える形で表現することができなかった。理想を求めて無限に議論を更新し続けてゆくことを我慢し、相手の望むものへと一歩踏み込んで行く。こうして提案を完結させる、潔さを伴った態度が必要だったのだと思う。

まとめ

まず議論の枠組みから変えていく必要があると感じました。どこまで自分たちが提案していいのか、あまり具体的な提案すると、住民の意思を反映する提案から離れていくのではないかと考えていましたが、そういったトレードオフな関係としてとらえるのではなく、むしろ、住民の意思を反映するために最適な具体的な提案というような、二つを両立するようなものを探していくような姿勢にしていかなければならなかったのだと思います。ただ、理念だけから考えていても、考えるほどにその理念では捉えられない部分が生まれ続けるため、最初から様々に議論されてきた実際の空間設計の事例などから議論をスタートさせていくことも必要かもしれません。
また、提案のロジックが弱いというのは、地域のメカニズムを、もっと客観的、普遍的な事実の中に当てはめていくようにすることで、提案に対する論理性が強くなるのではないか。そのためには、地域をもっと深く、リアルにとらえていくことが大事であると思います。
地域、というテーマから考えることも大事だけど、自分たちが見たことを本質として考えていくことも必要だと思ったし、それを既存の枠組みの中で考えていくことも必要。
まだ自分たちには、冷静でありながら熱情を持って形を提案していける知識も技術もなく、具体的な空間から広げて提案にすることもできていない。これから大学院で学ぶ中で経験値を高めていくとともに議論を深化させてゆくことで考えていかなければならないと思います。