地域デザインをめぐってvol.23 “夕張訪問”

計画的縮退都市・夕張のいま

萩原 拓也 + 北原 麻理奈 + 新妻 直人

2017年11月10日、かつての炭鉱都市・夕張を訪れた。夕張市はその発展を支えた大規模炭鉱の閉鎖、それに単を発した市の財政破綻を経て、人口がピークの10分の1へ激減した。市による縮退型都市計画が打ち出され、取り組みが行われている。
今回は、夕張市によって展開される縮退型都市計画とその実践のいまを見に、札幌で行われた都市計画学会から足を伸ばした。

1.炭鉱都市の発展と衰退、災害

「石炭のまち」夕張の歴史は、明治21年夕張川上流で石炭の大露頭が発見されたことに始まる。翌22年には北海道炭礦鉄道会社(後の北海道炭礦汽船株式会社=北炭)が採掘を開始。北炭は大正期に三井財閥の傘下に入るが、同時期に三菱が夕張に進出し、以来夕張の地域社会は三井と三菱の二大資本の支配下で形成されていく。


▲図1:市のテーマパーク「石炭の歴史村」内に残る石炭の大露頭。

 明治以来国策によって最重要産業として育成、保護されてきた石炭産業であったが、昭和30年の「石炭鉱業合理化臨時措置法」制定によってその風向きが変わり、非能率な中小炭鉱を閉山させ、高能率の新設大炭鉱に生産を集中させるという生産の近代化が図られた。このスクラップ・アンド・ビルド政策により昭和30年代後半から石炭産業の衰退と構造変化が進み、夕張市においても、昭和35年前後の人口約12万人、炭鉱数20をピークに、その後人口数、炭鉱数、炭鉱従業員数が減少に転じている。

 炭鉱の閉山と合理化が進むなかで、三菱南大夕張炭鉱(昭和45年営業出炭開始)と北炭夕張炭鉱(昭和50年営業出炭開始、以下新鉱)の二つのビルド鉱が新しく開坑された。地域再生の鍵を握るとされた二大資本のビルド鉱開坑だったが、昭和56年に新鉱で93人の死者を出す大災害が発生、翌年に閉山へと追い込まれてしまう。さらに昭和61年には、第八次石炭政策によって国内炭生産の段階的縮小が示され、石炭産業の展望が奪われる。平成2年には三菱南大夕張炭鉱も閉山し、夕張の炭鉱の歴史は終わりを迎えた。

 二大資本のビルド鉱の閉山は、夕張市の財政や生活基盤に甚大な影響を与えた。大量の失業者の発生と人口流出、税収の激減に加え、夕張市の財政を逼迫させたのは閉山後処理であった。旧産炭地では、住宅・水道・電気・浴場・病院など地域の生活共同手段の大半を炭鉱資本が所有・負担してきたという歴史があり、夕張のそれらの多くは北炭と三菱によって整備されたものであった。新鉱の閉山後、北炭は労務債返済のために保有地の処分を進め、約26億3700万円で夕張市に有償譲渡。さらにこれら生活共同手段の多くは老朽化の問題を抱えていたため、夕張市は住宅・浴場・水道整備に149億9100万円、学校教育施設整備に87億9800万円を費やしている。夕張市はこうした整備費や退手当債と併せて、地方債という形で332億1600万円を負担している。


▲図2:北炭清水沢炭鉱の旧炭鉱住宅(清水沢地区)。住宅壁面に書かれた「宮コ」の文字は、宮=宮前町、コ=鉱員用住宅を意味する。

 こうして石炭産業の斜陽化が明らかとなっていたなか、当時の市長中田鉄治が主導となり進められたのが「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとする観光開発だった。昭和58年には、第3セクター「石炭の歴史村観光」が運営母体となり、「夕張市石炭博物館」や遊園地、野外ステージ等を含むテーマパーク「石炭の歴史村」が全面オープン、全国から観光客を集めた。しかし平成13年をピークに観光客数の減少が顕著となり、平成18年に夕張市が財政再建団体化したことに伴い閉鎖。現在は夕張リゾート株式会社が運営母体となり、パーク内の一部施設のみ再開を果たしている(以上、参考文献:田巻松雄編、2013『夕張は何を語るか――炭鉱の歴史と人々の暮らし』古田書店)。


▲図3:「石炭の歴史村」内の遊園地跡の様子。

 炭鉱の閉山、テーマパーク事業の衰退、そして90年代初頭のリゾート開発ブームとバブル崩壊の波を受け、平成18年に事実上の財政破綻を経験した夕張市は、平成24年、財政負担を軽減し公共サービスの質を維持するために、都市の集約化を目指す都市計画マスタープランを定めた。住民の生活意向をアンケートにより抽出、その後学識経験者や市の関係者からなる会議を通じて複数の将来都市像案を住民に提示し、改めて住民がそれぞれの案に対して意見をするというプロセスで策定され、住民の意見を取り入れた都市マスタープランとして注目を集めた。

 マスタープランでは、①地理的に夕張市の中心に位置し、都市機能面でも将来性があると考えられる清水沢地区を夕張市の中心拠点施設として位置付け、②JR夕張線に沿って形成されている都市軸から外れ、大幅な人口減少が見込まれる南部地区、真谷地地区の2地区を計画的集約の対象地区としたうえで、③将来的にJR夕張線沿線に市街地の集約化を進めることが計画されている。

 本視察では、市の中心拠点と位置付けられた清水沢地区と、計画的集約化地区の一つである真谷地地区を訪れた。


▲図4:夕張市の地図(夕張市「夕張市都市計画マスタープラン」より、筆者加筆)

2.縮退・集約型都市計画のいま

■ 清水沢地区

 清水沢地区は現在の夕張市の中心地区である。役所があるのは市北部の本庁地区であるが、清水沢地区内には市内の学校施設(小・中・高)が集約されており、地区内の店舗など商業施設も2002年~2012年の10年間で減少していないという特徴がある。地理的にも清水沢地区は夕張市の中心にあるため、都市マスタープランでも中心拠点と位置付けられている。

 地区内には近年建設された中層の集合住宅や平屋の集合住宅が多い。平屋の集合住宅は今年度竣工のものもあり、今後新しい棟を建設するための用地も取得してあった。


▲図5:清水沢地区内の平屋の集合住宅。

 これらの比較的新しい集合住宅の隣接地には、1970年ごろに建設されたコンクリートブロック造りの2層の集合住宅が広く立地している。老朽化で建物自体の荒廃も進み、その多くが空き家となってしまっている。炭鉱住宅一部はコミュニティ施設として利用されているが、大量に存在する集合住宅の存在の今後の動向は気になるところである。


▲図6:かつては繁華街だったことを感じさせる通り。現在も営業を行っている飲食店もある。

■ 真谷地地区

 マスタープランで計画的集約の対象地区となった真谷地地区。人口減少も激しく、空き家の増加も顕著である。地区内には真谷地団地と呼ばれる、1977~1983年の間に建設された集合住宅がある。現在、マスタープランの下で、地区の中核であるこの集合住宅を10年間で集約化する事業が進められている。なお、集約化事業における計画策定の際も、マスタープランと同様、地区住民の意見が取り入れられた。

 集約事業の計画が策定されたのは2012年から2013年にかけてで、集約事業の一部は2014年に完了している。視察時には、既に利用されていない住棟と集約化された住棟が混在していた。現在も人が住む住棟の庭先には、菜園が設けられていて、人の生活が感じられた。

 北側の2棟は比較的新しい住棟で、部屋ごとに浴室を持ち(その他の住棟には浴室がなく、住民は公衆浴場を利用している)、空き家も少ないため、集約化事業の対象からは外れた。隣接する公園の維持管理も含め、しっかりと整備されていたように感じられた。


▲図7:集約化の対象となり、閉鎖された住棟。


▲図8:移転先住棟の庭先に個人菜園が設けられている。


▲図9:集約事業の対象となっていない地区。公園も設けられていて現在も維持管理がなされている。


▲図10:真矢谷地区の地図(google mapより、筆者加筆)

 縮退時代の都市計画の事例として、夕張市での具体的な動きについて見てきた。清水沢地区での集合住宅建設の動きや、真矢谷地区での縮退事業の様子など、市レベルの都市計画が具体的な動きに影響を及ぼす様子を目の当たりにすることができた。今後も、マスタープランに描かれている、都市構造のJR線沿いの都市軸への集約化の動きなど、夕張市のまちの構造がどのように変化していくかを追っていければと考えている。

3.むすび

 炭鉱の閉鎖、自治体の財政破綻という特殊な状況を背負った夕張であるが、今回見てきたように、大量の空き住宅の発生、インフラ維持管理などの問題がここ数年で表面化している全国の都市の先行事例であることは間違いないだろう。

 住民とのワークショップを重ねながら、計画を策定し、集約化が始まった夕張で今後どのような変化が生じつるかは非常に興味深く、つぶさに観察し、日本の他都市の地域づくりに活かしていくことを考えなければいけない。

 夕張では、例えば、炭鉱の跡地を利用した公園、スキー場とリゾートホテル、市街にはレトロな映画看板が並ぶ通りなど、如何にして、地域の価値を高めるのか、あるいは産業をつくりだすか、といった試行錯誤の歴史がまだら状に展開されていた。こうした背景の中で、集約されていく住宅を見ていくと、夕張に暮らす労働者、人々の生活はあまり省みられてこなかったのではないか、と感じる。

 一方で、今回の視察で見たように、いま、夕張のまちは大きく姿を変えつつあるが、整備内容はここに来てようやく住民の生活の利便を如何に担保するのか、という点に焦点があたり始めたように感じられた。新たにつくられた公営住宅や集約された団地では家庭菜園が行われるなど、集約された先でも確かに生活が根付いているのだということを垣間見ることができた。しかし、地域・炭鉱の町の誇り、町に暮らす人々が共有できる価値はどこにいってしまうのだろうか。

 都市や地域が魅力的で、持続的であるためには、これらの二つが一体的になされていなければならない。新しく再編しつつある都市の骨格をベースとして、時間をかけて地域の価値を育てていくことが必要であろう。
(萩原拓也+北原麻理奈+新妻直人)