#61

 公会堂と村社、共同墓地に接するこの地は、かつて牧草地だった。酪農を生業とする集落にとって、重要な場だった。

 原発事故で避難せざるを得なくなり、残された牛たちは命を落とした。避難指示が解除されても、集落での生活を再開する人はわずかである。

 その中で、彼らはこの地に、春には菜の花を、夏にはひまわりを彩らせた。ひまわり畑に迷路を作ると、市内、県内から人々が訪れた。

 一時はゼロとなったこの集落に、活気と笑顔があふれた光景が、強烈に、鮮明に、記憶に残る。集落の新たなよりどころが作られていった。

 何度も何度もこの場に通った。ともに汗を流し、迷路も作った。ひたすらに、ひたむきに、地域に寄り添った2年間は、この風景ともにある。

2018.02.15 N.Niizuma