#57

「水の都」と聞いて思い浮かぶのは、ヴェネチアやミラノ、ボルドーあたりだろうか。これらの都市に共通するのは霧だ。運河が多いヴェネチアでは、霧が発生しやすい条件が整っているため、いったん発生すると街並みが霧の中に消えてしまうほどだという。また、須賀敦子*1のエッセイによれば、ミラノでは匂いまで感じるような纏わり付く濃霧が昔はよく出ていたと綴られており、自分の知るミラノとは違う印象を抱いたことがある。いっぽう、フランスのボルドーのソーテルヌ地区では、川沿いに朝霧が発生するものの、午後にはすっかり晴れてしまう。それが貴腐ワイン造りに欠かせない重要な役割を担っており、ワイナリーの人たちは朝霧が出るのを心待ちにする。それぞれ霧の発生状況も都市も異なるが、水と地形や都市空間が密接に関係しているのは間違いないだろう。

“水都学”で知られる陣内秀信先生*2の講演を聞く機会があり、東京が水の都のひとつだという話に興味をそそられた。皇居の堀から神田川などの水脈を辿ると、やがて“国分寺崖線”へと続く。この崖線とは立川から国分寺、小金井、三鷹、調布を通って世田谷まで20kmほど崖が連なる独自の地形のことである。つまり多摩川が武蔵野台地を浸食して出来た“斜面地”で、森の形成や湧水の豊富な拠点として多様な地域文化の創出を果たしてきた。例えば、国分寺崖線の南端に位置する等々力渓谷は、都心とは思えないほど湧水や緑あふれる自然環境がいまも残り、都会のオアシスとなっている。実際に崖線を辿ると、好奇心が強く刺激された。

JR中央線の国分寺駅から南へ10分ほど歩くと野川にぶつかる。その少し先に、「お鷹の道・真姿の池湧水群」と名付けられた清流沿いの小道が続く。ここも崖線らしい景観が見られるスポットで、地元の子ども達がザリガニ釣りに興じる姿に遭遇した。都会から消えた生物や田園風景にばったり出くわした戸惑いと驚きを感じ、まるで昭和へタイムスリップしたような懐かしさをおぼえた。都心から自然が消えていく変遷を綴った『都市の自然史』品田穣著(中公新書)を読み返すと、トノサマバッタやアメリカザリガニが三鷹から立川周辺で見られなくなったのは昭和40年から昭和44年頃になっている。つまり、半世紀前までよく見かけられていた自然がそのまま立ち現れ、ザリガニ釣りをしている子ども達の姿、刻んだスルメをエサにおびき寄せる釣り方まで変わらず、平成最後の年に目にすることができたというわけである。

陣内先生のいう水域都市(テリトーリオ)の話になぞらえるとすれば、崖線が豊かな地域文化を育む要因になっていることは確かだろう。東京が“水の都”と意識しにくい理由をあげるなら、都心で霧が発生しなくなったことにあるのかもしれない。おそらく雨水の循環がいびつになり、アンバランスな緑化やヒートアイランド現象なども都市から霧が消えた原因になりそうだ。

霧のない世界は、誰もが“五里霧中”になることもなければ“霧が晴れる”爽快感も得られない。常に見晴らしのよい景観づくりを追究しすぎると、知らず知らずのうちに人工的になり過ぎ、真の自然とは相容れないのではないか。国分寺崖線を辿りながら、ふとそんなことを考えた。

 

2018.10.28   GO Fukusaki

*1:『ミラノ霧の風景』須賀敦子(白水社)

*2:法政大学名誉教授。『水都ヴェネツィア その持続的発展の歴史』(法政大学出版局)

#Utokyo#国分寺崖線#テリトーリオ