長岡市におけるコンパクトシティ研究調査報告

2019年09月28日 / 修士一年 堀籠悠河

 修士研究の一環で、長岡市を訪ねました。調査では、長岡技術科学大学の中出文平先生、松川寿也先生、長岡市役所中心市街地整備室の小林秀年様、商工部産業支援課の門脇亮様、都市整備部住宅施設課の大矢朝行様をはじめ、多くの方々にご協力いただきました。はじめに、この場を借りてお礼申し上げます。

 

 新潟県長岡市と聞いて、まず思い浮かべるのは、花火大会であろう。秋田の大曲や茨城の土浦と並び、三大花火大会ともいわれる長岡市の花火大会では、全国でも数少ない三尺玉も打ちあがる。一般の花火大会で大型といわれる十号玉の直径は約300mだが、この三尺玉の直径は実に1000mにもなる。これだけみても、長岡の花火大会がいかに気合の入った行事であるかがうかがえる。毎年80万人もの観光客がこの花火を目当てに長岡の地を訪れる。


▲写真①:銀色の一番大きなものが十号玉。赤色の写真に写り切らなかったものが三尺玉である。

 
 

 そんな「花火のまち」であるが、実は、市の人口は26万人ほど。新潟県の中では第二のまちだが、第一位の新潟市の人口70万の半分にも満たない。しかしその一方で、中核として、地域を支えている。この「強く」はないが、決して「弱く」もない、いくつもの不思議な側面を備えた地方都市に、私は興味を抱いている。

 

 コンパクトシティという言葉がある。少子高齢化とともに、近い将来、社会は大きな変化を迫られる。コンパクトシティ、もとい都市をコンパクトにまとめるという選択と集中の発想は、そうした社会変化に対応すべく生まれた。人口が減少すると自治体の収入が少なくなり、道路や公共施設など、重要な都市のインフラストラクチャーのすべての面倒をみることはできなくなるかもしれない。また高齢者が多くなると、車での移動を前提とした生活は成り立たなくなるかもしれない。こうした懸念に対して、歩いていけるような小さな範囲に居住や都市機能を集約することで、なんとか今後も回っていくまちにすることができるのではないか。コンパクトシティを支える背景には、こうした発想がある。

 

 ところで、私が住んでいる東京では、いまだに人口が増え続けている。私は大学進学を機に上京してきたクチであるが、周囲を見ていてもそういう人たちは多い。こうした事実は、少し見方を変えると、人口減少は地方でより深刻だということを意味している。つまりコンパクトシティは、地域の中心でありながらも、より大きな都市へ人口が流出していく、そういうまちの現実をなんとかすることはできないのかと知恵を絞った産物なのである。

 

 コンパクトシティという発想は、立地適正化計画という形で、具体の政策へと落とし込まれている。誘導区域を設け、その中でのまちづくりを積極的に進めていくことによって、だんだんと都市の範囲を狭めていこうというものである。それでは、どういう場所が誘導区域として定められているのか。そして今後、どんな機能が必要とされているのか。もちろん線を引く基準として、人口密度や交通利便性の良さなどいくつかのそれらしき指標はすでに用意されている。しかし、その土地がなにゆえ地域の中心として機能しうるポテンシャルを持っていると考えられるのか。その土地で今まで、そしてこれから暮らしていく人が、どのように日々生きているのか、何を必要としているのか。コンパクトシティの政策的歴史はまだ浅く、まちを真に理解し、地域の中心として機能するために必要な具体的な機能の詳細を、根拠をもって描き出すことはできていない。私の関心は、そこにある。

 

 そこで、まずは実際のまちの、どのような場所を誘導区域として定めているのかを、長岡を取り上げてみてみようということである。そうすると、同じ誘導区域でも、それぞれの場所が異なる顔を持っていることがみえてきた。

 

 はじめに私が降り立ったのは、来迎寺(らいこうじ)という、市街地から5㎞ほど離れた土地である。都市というにはあまりにものどかな住宅街である。電車は一時間に一本も来ない。


▲写真②:来迎寺駅前。

 

 電車で長岡市街への足を踏み入れる。そこには、駅からまっすぐに伸びる大通り。来迎寺周辺とは比べ物にならない高い建物。アーケード。連なる居酒屋。中心として地域を支える地方都市の面影があった。


▲写真③:長岡駅前。雁木を模したアーケードが特徴的である。

 

 来迎寺と比べると建物は断然高く、密度もある。しかし全体的には、比較的低層の建築物から構成されている。長岡は城下町を起源とする都市であるが、信濃川の東側は、その歴史を引き継ぐ旧市街である。不規則に連なる住宅の一部は、都内の木密もかくやと言わんばかりの趣がある。庭を持たない小さな家では、玄関先のちょっとしたスペースが鉢植えで埋め尽くされており、これもまた生活感を感じさせる。


▲写真④:旧市街の住宅地。独特の趣が感じられる。

 

 信濃川を渡ろう。川幅は大きく、橋の長さは1.5㎞もある(ちなみに冒頭に紹介した三尺玉はこの橋の2/3もの大きさなのである!)。川の西側は、一転して高度成長期に急激に開発が進んだ新市街である。


▲写真⑤:歩いて渡れるだろうとタカをくくっていたが、予想以上に距離がありなかなか大変である。

 

 橋を渡った先にあったのは、郊外型スーパーマーケットの集積地である。市役所の方にうかがった話だと、この場所は市民の日用品需要を担っているということであった。


▲写真⑥:駅前から2~3㎞も離れると、このように郊外の感が強くなる。

 

 その南側には、新興住宅街が広がっている。整然と区画整理され、一戸あたりの敷地面積も大きい。地方都市らしく、一家に一台、自動車が並んでいる。


▲写真⑦:それでも、一般的な地方都市の戸建てと比較するとやや建て詰まっているような印象を受けた。

 

 今度はバスに乗って北を目指した。高度経済成長期の都市拡大を経て、長岡の市街地は北への大きく発達した。日用品需要は新市街の方に奪われ、商店街は閑散としているが、一本道を入ると、しっかりとそこで暮らす人の目線を感じた。


▲写真⑧:この日は休日だったこともあり、よく人の目線を感じた。

 

 再び旧市街を見て回ったあと、翌日はすこし遠出をした。駅前からバスに乗って30分、与板地区へと至る。この地は2006年の合併により、長岡市へ編入された。ここはここで、もともとは小さな山城を中心とする城下町であった。やはり商店街の衰退は激しいが、まだ営業しているところもある。パン屋はリノベーションされていた。


▲写真⑨:長岡市の雁木は合計長さ10㎞にも及び、国内第二位であるそう。

 

 長岡のまちを散策していて思うのは、雁木が実に来街者のウォーカビリティを高めているということだ。調査の日はあいにくの悪天候で、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。が、雁木のおかげで全く濡れないし、連なる雁木は中心市街地全体に展開されていて、傘をさす場面もほとんどない。北陸は豪雪地帯として知られ、雁木も雪害対策として導入された。地元に住む人々にとっては当たり前の都市インフラも部外者の私には随分とおもしろい。


▲写真⑩:外は激しく雨が降っているが…

 

 雁木が修理されている。市街地全体が空洞化し放棄されたテナントが多数ある中でもみられるこのような風景からは、市民の大切にしているものが垣間みえる。


▲写真⑪:商店街はさびれていても、そこには確かに生活が存在していたと感じられる一つのきっかけであった。

 

 ところで、ここでまち全体が異様に茶色いことに気が付く。後で調べて分かったことだが、これは融雪と関係している。道路に張り巡らされているパイプから積雪と同時に水が出てきて、雪害を軽減するのである。鉄分を豊富に含む地下水の影響で、こうして茶色くなっているのである。


▲写真⑫:家屋の壁にトタンが用いられていることも多く、全体的にまちが茶色いと感じた。

 

 劣化しているのは道路だけではない。旧市街を構成する多くの建物もまた、建築年代が古く、昭和の雰囲気が感じられる。長岡でまちづくりといえば「アオーレ長岡」という新市庁舎が有名であるが、こうした再開発は中心市街地全体でみると、ほんの一部である。


▲写真⑬:再開発されていないところでは、高度経済成長期の建築がそのまま残り、昭和のまちにタイムスリップしたような印象すら受ける。

 

 その一方で、長岡駅前の中心市街地で多数の再開発プロジェクトが存在するのもまた、事実である。そしてその多くでは、中心市街地のニーズをとらえた施策がなされている。たとえば、再開発ビルの中にはたくさんのフリースペースと高校生や大学生を見かける。これは長岡駅を周辺に高等教育機関が多数立地していることと関係がある。長岡駅周辺が自宅と学校を中継しているという、多くの学生に共通するライフスタイルから、「学校帰りに集まったり勉強したりすることができる場所」という潜在的なニーズをうまく引き出し、まちを拠点として機能させたのである。


▲写真⑭:公共施設のあらゆる場所にフリースペースが存在するが、きちんと利用されており寂しくはない。

 

 また中心市街地には、生涯学習に向けたスペースもたくさんある。郊外に転出する経済的余裕や、積極的な理由を持たず、残存する高齢者層も多く存在するが、彼らのライフスタイルに対して何ができるかを考えた結果であろう。施設案内のパンフレットには、デイケアをはじめとした福祉的サポートから、連日開催される多くの公開講座まで、多様なサービスが紹介されている。


▲写真⑮:幅広い世代を対象に様々な取り組みがみられる。

 

 さて、ここまで紹介して、多様なまちの風景に多様な生活像があるということを、少しでもお伝えすることができただろうか。冒頭で述べたように、私はコンパクトシティに関心があり。誘導区域に関するミクロな調査を背景に、将来も自立して回っていく地域の中心としてのポテンシャルは何に由来し、どういう要素によって高めることができるかを考えているのである。そして、今まで紹介してきたまちの風景は、全て地域を支えるとされる「都市機能誘導区域」に位置付けられた場所のものである。

 

 そこには、いろいろな思惑があるようにも感じる。古くからまちの中心地である。現在の市民生活に欠かせない物資を供給する場所である。地域の歴史を今に伝える場所である。高度経済成長期に都市基盤が整備されたところである。人がたくさん住んでいる。重要な研究機関がある。農村集落を核に、その場所には昔から人がいた。現状の制度では、どれも、「都市機能誘導区域」に位置付けられる根拠となる。

 

 ここで、コンパクトシティの目的を振り返っておきたい。それは、人口減少や少子高齢化といった社会変化の時代に、車社会のような今まで当たり前だった前提がなりたたなくなっても、なんとか生活していけるまちをつくる、ということであった。このように考えると、現状の制度では捉え切れていない、生活上の課題やそれによってもたらされる弱者の存在にも目を向ける必要がある。

 

 この点で、若者や高齢者のライフスタイルから潜在的な需要を見つけ出し、彼らに使ってもらえる施設計画を打ち出した再開発計画はおもしろい取り組みであるといえよう。しかしその一方で、行政としてできることの限界もまた、見えてくる。


▲写真⑯:アオーレ長岡は住民の憩いの場であるだけでなく、時折イベントも開催されている。

 

 まちづくりにおける行政の役割は、規制と誘導である。だから、どんなに詳細に分析して「こういうまちにすればいいのではないか」と議論しても、できないこともある。たとえば、商業はその最たる例だ。実は長岡駅前には、昭和の終わりごろに一度再開発され、生鮮食料品を扱う大型デパートが立地していたことがある。しかし、平成の時代、大規模店に対する規制が弱まると、市民生活の拠点は郊外へと移っていった。そしてそれとともに、中心市街地における商業の経営状況は悪化していった。長岡駅前に立地していた大型デパートも、ついに撤退を決めたのであった。これにより、駅前で生鮮食料品を得る機会は一気に減った。自動車に乗れる層はよいが、中心市街地に残る高齢者は、ともすれば買い物難民の予備軍である。

 

 一度採算が悪化して撤退した民間事業を、規制と誘導で呼び戻すのはなかなかに困難なことである。生鮮食料品は、日常生活におけるもっともベーシックな物資であるが、「生活できるまち」というコンパクトシティの政策において、現状の制度ではこの機能を戦略的に配置することはできないのである。こうした制度的課題を抱えつつも、なんとかして市民生活に貢献できる再開発を行うにはどうしたらよいのか、という議論の末にたどり着いたのが、若者向けのフリースペースや、高齢者向けの生涯学習施設だったのである。

 

 中盤で紹介した個々の風景に関しても、そのひとつひとつをより精査していく必要がある。立地適正化計画における誘導区域は、正確には拠点として機能させる「都市機能誘導区域」と居住という側面を重視した「居住誘導区域」に分けられる。そうであるならば、長岡駅前のような、役所機能など比較的高度な業務機能が集積するような場所は前者に、生活必需品を扱う施設をふくむような場所は後者に、それぞれ振りわけることもできそうである。

 

 また現状の制度では、機能が「ある」か「ない」かが重視されている傾向があり、その密度に関する議論はあまり行われていない。仮に食料品店を核として誘導区域を構成したとしても、その境界部分からのアクセスはあまりにも貧弱、といった事態も生じうる。

 

 こうしたことを踏まえると、やはり機能の配置にはある程度の戦略性が必要そうである。そしてそれに対して政策として可能な手段として再開発があり、この手法をどのようにとらえていくかを考えるというのは、長岡の調査を経たからこそ考え出せた、一つのアイディアである。また、今回の調査では居住者と直接話をする機会は得られず、この部分に関してはまだまだ推察の域をでていない。この点も、今後の研究上の課題である。