第4回地域デザイン研究会「社会的包摂とジェントリフィケーション」

都市計画やまちづくりは、空間の質の向上を本質的に包含しており、資本の再投資を招くものである。1960年代にイギリスで用いられた「ジェントリフィケーション」という用語は、多様な変容を遂げてきた。同時に、社会的包摂もそれに呼応してきた。
スペイン都市計画研究を極める阿部大輔さんからは、カタルーニャ州の事例を中心にヨーロッパでの社会的包摂について、具体的な取組から概念までをご講義いただく。
一方で、内田奈芳美さんからは金沢での事象を踏まえて、日本の地方都市型ジェントリフィケーションという捉え方を披露していただく。
刺激的なキーワードを通して、地域で何が起こっているのか、理解を深めたい。
予約不要、参加無料です。濃い議論ができればと思っています。どうぞご参加ください。

主催:東京大学地域デザイン研究室・復興デザイン研究体
日時:2015年12月17日17:00-19:00
場所:東京大学本郷キャンパス14号館2階145号室
講師:
阿部大輔(龍谷大学政策学部准教授)都市の断層を修復する:多様性の確保は計画できるのか?
内田奈芳美(埼玉大学経済学部准教授)地方都市型ジェントリフィケーション:ポスト新幹線の『再投資』と『目的地化』
コメンテーター:山村 崇(早稲田大学創造理工学部助教)
問い合わせ先:窪田亜矢(東京大学地域デザイン研究室・復興デザイン研究体)

研究会記録:話題提供

社会的包摂とジェントリフィケーションに関する研究会を開催しました。平日の夕方にも関わらず、社会人から学生まで、30名ほどの方々がお集まりくださり、社会的包摂とジェントリフィケーションを、空間計画の問題として捉えるための議論をしました。約1時間の延長になってしまいましたが、都市工学に限らない分野からのご意見もあり、濃密な議論となりました。

話題提供をいただいた内田奈芳美先生と阿部大輔先生、コメンテーターの山村崇先生、ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。

窪田:問題提起

1. 空間が高級化して、再投資化の対象となる、すなわち空間が目的化する。
2. 住民や関係者が意に反して出ていかざるを得ない状況が生じる。
3. 空間やコミュニティの変化が生じる。
4. それらの変化のプラットフォームは市場となっている。
5. しかし、実は1.を生じた原因もしくは素因として、計画や構想がある。

もし現象が1-5であるとするなら、その実態を把握して、現象の意味や影響を理解する必要がある。そしてどういう対応をするのか、その対応を如何に実践するのか、という点の議論と実例が必要である。

内田奈芳美先生:地方都市型ジェントリフィケーション:ポスト新幹線の『再投資』と『目的地化』

金沢に5年間いたが、新幹線が通るようになり、地元NPOや元市長らも一緒に、まちづくりに携わっている。またアメリカにも長くいて、ジェントリフィケーションが問題になっていることへの関心もあった。

そこで、社会的階層による分断が少ない中で、つまり日本の地方都市で生じている現象をジェントリフィケーションとして理解したいと考えた。

欧米では、ジェントリフィケーションは以前の居住退去だけではなく、生産・供給サイドのニーズとして、たとえば観光の「目的地化」すること、消費サイドからいえば格差を利用して資本が投資を「再投資化」すること、というの二つの点で捉えようとしている。

すっぽんのお店が出店しても良いのかという議論までしている。

地価は、県外資本が流入し、路線価が再上昇している。

一方で、新竪町商店街は、多少地価が下がりつつあったが、古い町家が結構残っていて、雑貨屋さんもあって、ことりっぷを持った若い女性がウロウロしている感じのまちになっている。

大きな変化はみられないが、売買をともなわない用途変化は生じている。たとえば10年後に同じオーナーが建物を買う、すなわち商売が育っていって独立するという現象がある。一種の再投資化といえよう。

以上をまとめると、再投資の収入は地価を上昇させた。同時に下落も再投資を誘発した。地区イメージも再投資とともに形成された。

阿部大輔先生:都市の断層を修復する:多様性の確保は計画できるのか?

何かを再生すると、負の側面もみえてくる。

環境や経済については予見できていたかもしれないが、90年代想定すらできていなかったのが、社会的持続性だった。それで社会的排除と包摂が問題となった。

カステルが述べたように、大都市の空間変化は、排他的なものであり、労働者階級は郊外部で入れ替えが起こっている。創造都市は、本当に多様なのか?、質の高い交流は生まれているのか?、そういったことも検証すべき。

EUの諸都市では、競争力が向上している反面、下層が固定化、居住環境も劣悪、インフォーマルな産業に手を染めざるをえない、失業と社会的排除が都市計画の足かせになる。90後半-2000年代初頭にかけて、アーバンオーディットは、生活の質についての評価、をやっている。

日本では国土政策において地域間格差や都市間格差を問題にして、その縮小を図ってきたが、都市内格差が広がっている。

特に貧困問題は、面的に出現するので、アクセスなど空間の話において、総合的に解こうとする姿勢が、ヨーロッパではみられる。

しかしたとえば団地開発時に貧困層を混ぜることはできても逆は非常に難しい。

バルセロナのラバル地区では、連鎖的なプロジェクトを展開して信頼を勝ち得ているが、稠密な市街地に広場という穴を開けていき、「多孔質化」することで、プレイス・メイキング、すなわち単なる空間を場所に変えていくことをやってきた。今ではバンダリズムも起きないパブリック・スペースが出現している。しかしスペースをプレイスにしていくときに、実はジェントリフィケーションが起きている。

スラム化していた場所はきれいになったが、おしゃればケバブ屋さんが出店している。

エキゾチックな危うい空気感は、グローバルな観光に好まれることもある。特に都心の際にそういうところは多い。

結束や連帯の高低、社会的経済活動の高低を、二軸とすると、果たして結束の高いというのは何を意味するのか。

結束している、していないという現象に、ジェントリフィケーションがどういう影響を与えていくのか。

スノッブな人たちの半開きのコミュニティになる危険性は常にある。

ただヨーロッパでは少なくとも理念上、多様性を確保することがプログラム上は述べられている。

研究会記録:討議

以上のレクチャーを受けて、以下のような討議を行いました。
ほぼそのまま掲載させていただきます。

山村先生から内田先生レクへのコメント

山村:ジェントリフィケーションが想像より起きていると思った。それにより、既存の商業の追い出しはおきているのか。どういう現実的な問題が起きているのかが気になった。

内田:今問題は特に生じていない。新規出店のクオリティの問題はあるが、追い出しはさすがにない。東山の様子を見ていると一人の人がいくつも買っているという状況がある。一人の人が先行投資で買っている。限られた場所で出店したい人が増えている状況で、値段が高くなっている。

山村:店子の方はあまりいなかった?

内田:東山はあまりない、新竪山は多い。社会的問題というよりは、質の問題になっている。スッポンもイメージが悪いという話になった。東山茶屋街のイメージを利用して、新しい資本が入ってきて、今までのイメージを食われるのではないか、という危惧がある。

山村:明確なジェントリフィケーションが起きている場所は?

内田:駅前とは性質がちがう。西口に新しい新市街をつくると。駅の表の旧城下町のところに関しては、保護する。飲食のみを新規出店として許可するような動きがでてきている。二つとも建物がどう使われるのかがイメージに大きく関連するというこを意識している。

全体討議

山村:もともと後藤春彦研。IT企業。今建築。都市の知識産業の立地メカニズムをやっている。私自身が見ている都市の社会的変化について関心を持ってやっている。普段考えていること三つ。

1点目は、縮退時代のジェントリフィケーションをどう捉えるべきかということ。日本的には、社会的文節や追い出しなど、ネガティブなキーワードとして認識している。しかし、都市が縮退していく段階でどう考えられるか。特に地方都市においては、抱えている厳しい競争の状況で、ジェントリフィケーションのようなことがどの程度問題となっているのか。金沢を見ると、実感以上に質的な変化があるのだと感じた。それもかなり限られたところで起こっているが、全体的にはそういうものがないところに比べてどう対応していくのか、と気になっている。過度なブランディングや目的地かが結果的に陳腐化を招いていて、再生産を招くためにはどうすればいいのか。

2点目は、商業や業務用とから見たジェントリフィケーション問題はどの程度問題か。普通居住が追い出されるという印象を受ける。例えば、店主は一般的に、内装や評判といった有形無形の資産を気づきあげてきているが、ジェントリフィケーションによって家賃が高騰して継続されなくなることもある。深刻な問題だと思っている。しかも一般的に自分で土地を取得していない零細な立場のところにしわ寄せがいく。ちょっとした生産的な、チャレンジングなお店が都市の魅力を生んでいるところが台無しになってしまう。実は、産業的な立場から、事業者にとってある種のアフォーダブルな事業空間を保証することが大事なのではないか。実際、新興企業については、インキュベーションという形が社会的に合意がとれている。少し生活的な事業者にどこまで配慮可能なかのか。少なくとも、ある種の暴力的なスピードでそういった権利を奪われてしまうことは避けるべきだ。一方で事業者は法人なので、個人の権利とは違う。法人がそこで事業を続ける権利について、重視していく必要があるのでは。

3点目が、ジェントリフィケーションを引き起こす様々な要因。投資が呼び込まれる結果としてジェントリフィケーションが起こるのか、あるいは、社会の変化に応じて空間上の変化が生じてジェントリフィケーションがおこるのか。実際は競合してジェントリフィケーションが起こると思う。その中で、地方都市では今後絶え間ない投資の運動の結果としてのジェントリフィケーションより、需要主導型の方が多くなっているという実感がある。金沢は少し特別だが、同じようなことが地方都市で起こっていると思う。それは観光的商業地の再評価である。地方都市の商業のターゲットが、外の財布に頼っていくようになる。その背景には、地域内商業の場が郊外に逃げていったという空間的なものもあるし、市場が縮小しているということもある。そういう内側の財布の変化と、外側の財布に手がとどくようになったということ。いずれにしても、こういった話は需要主導型と思って聞いていた。投資が投資を呼ぶ兆しもあるのかなとは思ったが。そうした大きな社会メカニズムの一方で、小さな社会メカニズムを見ると、郊外から都心へというメカニズムが強く働いている。それは都心の再評価である。それがジェントリフィケーションにつながっている。

よく言われているように、居住地選択のメカニズムによって、都心を志向することもあるだろうし、オフィス立地が郊外から都心へ向かうということもある。最近の調査では、オフィス需要が、郊外の大きなものから、都心部の小規模なものへと移行している。知識的な労働環境が変わってきていて、バックオフィスや支店経済といったものが、より知識的なオフィスの働き方へと変わってきている。そうした人たちが、どうも都心を目指していいて、都心の再評価が起こっている。最近の傾向として、居住にしても産業にしてもアーバニティへの志向性がある。いわば都市の魔力のようなものが、これほど力を持っている理由はよくわからないが。
レジュメの裏面では、アーバニティ資本が形成され、それが産業を誘引するメカニズムを考えてみた。15人くらいで、都会から連想するキーワードを出し合った結果、そのうち何が効いているか分からないが、関心がある。
以上3点が、ジェントリフィケーションに関連して考えていること。それを踏まえた上で、いくつか議論したい点がある。

一つは、行き着く先の都市の姿について。絶え間ないジェントリフィケーションの先に何があるのか、あるいは何もないのか。地代が上昇し家賃が高くなった結果、限られた人しか生き残られない場合がある。そして地域の魅力を失っていくだけなのではないか。あるいは、オフィス街についても、どんどん地代をあげていくと、商業が淘汰され、都心なのにアーバニティの砂漠ができてしまう。そうすると、オフィス街としての評判も下がっていく。ジェントリフィケーションの自滅プロセスのようなものをどう回避し、持続性をもっていけば良いのか。地域の文化を搾取するだけでなく、再生産し、地域の文化をエンカレッジしていくような希望があるのかお教えいただきたい。

もう一つは、私の興味に引き寄せすぎかもしれないが、都市型産業とジェントリフィケーションがパッケージ化されて提示されることが多いということ。ヨーロッパではそういうことが起こっているように思う。戦略的面から仕方がないということがあるが、アートやクリエイティブシティなどと合わせて語られることが多いと考える。果たしてそれが本当にクリエイティブな都市産業なのか、ナレッジの豊かな都市の形成に役立っているのかが分からない。ただ、いろんな例を聞いてもジェントリフィケーションについていい面もあるが、そ高級な住宅や文化施設が悪いというわけではないが、消費的な側面が入ってきている。創造的・知識的な生産者コミュニティの形成にどれくらい貢献しているのか。そういった動きがあれば教えていただきたい。むしろ地域の生業の多様性を失っているというような負の側面があるとなると、残念。特に大都市においては、ジェントリフィケーションの発生自体は仕方ない。でも内発的な産業の芽生えを丁寧に支援していくことが重要だと思う。また、起業などのような動きが見られるのかといった点についてお聞きしたい。

内田:ジェントリフィケーションの行き着く先だが、既にジェイコブズが議論しているように、究極的には魅力を失ってしまうのではないか、と彼女は言っている。ジェイコブズがジェントリフィケーションから守ると言った中産階級自体が、ジェントリフィケーションをつくりだしてしまった。今の中産階級がジェントリフィケーションを生み出しているとすると、新しくジェントリファイヤーになるひとが生まれてくるのではないか。しかしニューヨークは魅力が失われているというわけではない。違う魅力が生まれてくるとしか言えない。一点だけジェントリフィケーションを防ぐことについて議論していたのが、店の大きさを制限すること。

アーバニティの話は面白いと思ったが、アーバニティはジェントリフィケーションとは親和性がない。大都市ばかりが官能都市として評価されている中で、金沢だけが9位に上がっていた。官能都市はゲイバーとかコスプレとか路上ライブとかそういうものの危うさや裏っぽさの魅力を示していると思う。一方、ジェントリフィケーションはクリーンナップするもの。アーバニティとジェントリフィケーションは、私の理論からすると親和性はない。内発的な産業の芽生えをどう見ていくかというと、ジェントリファイされた都市の方がクリエイティブクラスが好むと。なぜならアメニティが準備されているから。ジェントリフィケーションは内発的な知識産業と親和性が高く、アーバニティはむしろその中で埋没していくものではないか。 でもアーバニティが面白いと思ったのはジェントリフィケーションと両立しながらもお互いに魅力を高めているということが都市の危うさや面白さを生み出しているというところ。バルセロナは移民とかもあり危うさもある、そのぎりぎりのところを都市のらしさとして政策化し言語化していくことが必要だろうが、市場に任せるところでもあるので、店の面積を制限するくらいしか考えられない。
山本:補足すると、私自身はアーバニティという概念は、広く考えている。洗練性のようなものも入ってくる。むしろ一時期丸の内はアーバニティがなかった。一方種猥雑であればアーバニティというわけではない。必ずしも親和性が高いかという議論だけでなく、クリーンナップされるものとしてのアーバニティだけを想定しているわけではない。天王洲あたりで、つまらないオフィス街を作ってしまったが、そこで美味しいお店などを入れ込んでいくということも、足りなくなったアーバニティを差し込んでいるというイメージ。それによって、オフィスの単価をあがるということもある。

内田:金沢という限定された中でやってしまっている。私はどうにか日本型を定義しようとしている。貧困問題も日本の中でそこまで深刻化していないことを考えると、阿部先生の議論の方が世界的なものとしては本筋かとおもっている。どうしても観光地化と商業的用途とジェントリフィケーションの関係の中で見てしまっているが、そういうことを積み上げていかないといけないと思っている。

阿部:ジェントリフィケーションが全体的に地域の社会空間構造を壊すという議論なくはないが、そうはいっても界隈はしぶといので、そうはいっても、実はあまり壊されていないという見方もできる。そのあたりを冷静に見ていく必要があると思っている。地域の空間のしぶとさは常に残り続ける。それが空間にわかりやすい形で残るのか、地割ベースで残るのか人的ネットワークで残るのかは場所によっても違うが。親和性と並列して議論できるはずで、空間はそんなにもろくはないのではないか。とはいえ野放しにしていてはいけない。何を駆逐していくのかということを考えないといけない。

ジェントリフィケーションはいい意味で使われることもある。大再開発して、何か政策を打った時にジェントリフィケーションが起こらないというのも良くない。地価が上がる上がらないも政策のひとつの指標である。ただその時に、そこにあった生業が使われるのはまずいが、空家が埋まっていくのは良いかもしれない。その辺をうまく議論しないと、二項対立になってしまうと良くないのではないか。紹介しそこねたが、京都などで観光地化の話があって、場所の商品化と消費の話は必ず起きる。これはジェントリフィケーションよりさらに悪い気がする。ジェントリフィケーションは基本的に地価が上がるという資本の動態の話だが、場所の商品化というのはイメージで、目的地文化のもっと広いバージョンになってしまう。そうすると焼き畑農業的。雑誌の話がすごく面白いと思った。京都にもリーフという雑誌があって、最近は五条を推している。個性的なお店が入ってってすごくおもしろい。再発見されている。お店を出したいひとは離れていても困るので、家賃断層を見つけるのが上手。雑誌の人は嗅覚が鋭くて、五条ではリーフを持った人がうろうろしている。エリアの魅力は編集していくところに面白もがあるが、編集されて切り取られたものが一人歩きする怖さもある。なんとなく消費の対象にもなっていると思っていて、五条が終わったら、次は何処だということになると思う。五条の前は左京区だった。

その意味では、行き着く先は、元に戻るというよりは、過ぎ去るということか。その時にしぶとさはそれなりに効いていくと思う。去った後どうするのか。どう防ぐのかということは私も考えたが、同じことを考えた。内部構造をいじるのは禁止にすると、町工場にはレストランが入ってこないと。そうすると駐車場になってしまう可能性もあるが。ロットとか地割をそのままにするとか、内部構造を変えないことで規定されることがあるので、変なものがはいってこないというレベルでは対応可能かもしれない。

生きがいの話と関連して、起業というレベルまでいくかは分からないが、小さなロットでもいいが店を持ちたいとかちょっとしたカフェを開くとか、もうちょっと具体的空間に顕れてくるものとしては見逃せない。そこに育成のプログラムをいれていかないと空家問題が解決しない。そこがうまくいくと、いい意味でのジェントリフィケーションが起こっていくと思う。空間の特徴を踏まえてやっていかないと、旧来のゾーニングみたいにするといびつな構造になってしまう。ジェントリファイされた空間はそれはそれで心地良い。後ろを気にしながら歩く路地よりは(笑)何かが失われても何かが生まれるということをまちは繰り返しているので、しぶとさをそこなわない何かに注目していかないといけない。
内田:金沢の場合は建物はしぶとい。あとは人がしぶといかどうか。

阿部:そうですね。

内田:両方そろっていればいいが、建物が残っているのと営みが残っているのと、どっちが正当な在り方なのかと言われるとわからない。

阿部:貧困の問題もそうで、日本の難しいところは、顕在化していないわけでもないということ。例えば京都駅の南北問題がある。南はすぐ違うエリアになるが、悪いわけではないがコミュニティ的に違うエリアになる。あれを放っておくのかというと、排除の危険性はつねにあって、だれがどう政策化するかということが置いて置かれている。それこそ日本型社会的包摂のパターンを考えなくてはいけない。内田さんの研究をみて、日本型ソーシャル・インクルージョンもあるのだと思った。

内田:その辺全然議論されていない。

阿部:個人の貧困という状態に対する支援はあるが、面的に広がっている問題は解決はされていない。個人の状態がよくなってもその人が抜けるだけで地域は変わっていないが、地域への対策はなされていない。面的に最低限なにをするのかという議論をする必要がある。実際調べると京都の南区のバスの本数ががっと下がる。あからさまだと思った。

内田:東京なんかでも、密集市街地が貧困かというとそうではない。ちょっと前まではわかりやすい場所があったのは確かだが。金沢もそういう場所があるのかというと見えにくい。京都は先陣を切るにはいい都市なのではないか。

山村:バルセロナは、少し落ちてきて、ほどほどにスリリング、エキゾチックになっているものが見出されるというサイクルはわかる。金沢はそういう感じではない。日本では分断されているわけではないか。

内田:金沢は、市場というより政策的なジェントリフィケーションを対象としている。むしろ政府主導のジェントリフィケーションはある。特に歴史的保全地域はその手段として使われる。

阿部:2-3年前に、同僚と「地域空間の包容力と社会的持続性」という本を出した。キーワードで包容力を挙げたが、さっきのしぶとさと近いが。包容力のあるエリアっていいよねという話をしていて、貧困エリアは包容力があまりないと思った。多様性やクリエイティブコアのような話にどこまで多様性や包容力があるかわからないが、「包容力がある」という観点で見るとジェントリフィケーションもいくつか類型化できそう。面白いことをやりだした時にそれが拒否されない、受け入れる素地があるエリアだとジェントリフィケーションはなんともないと感じる。今だと社会的レジリエンスと言えるかもしれない。貧困の問題までにはいかないが、居場所の剥奪・変質に対する抵抗感がある。

窪田:会場の皆さんもいかがでしょうか。

:地方都市では、いい意味でのジェントリフィケーションを起こそうとしている、観光地化させていくかを頑張っている。金沢をモデルにしている。うまい再生産の構図をつくっていくときに、投資が起こった時に、住民や行政、企業がいかに包容力、柔軟さを持つ組織を形成しているかが重要と考える。金沢の新竪町商店街なんかはそういう事例のひとつかと思った。いかに再生産の動きを受け止められるコミュニティをつくっていくかというような事例等はあるか。

内田:金沢でよくいわれていることは、経済同友会が強いということ。創造都市についての発言を積極的に行ってきた。ひとつヒントになるかなと思うのは、旧町名をやったのが金沢が一番最初だったということ。つまり、ハード的な保全ではなく、コミュニティとしてのアイデンティティをいかに高めるかということになった時に、見えない価値やアイデンティティを顕在化させたという役割が強かったと思う。ハードだけでなく、コミュニティとしての意識を高めた。

:地域ごとに強いコミュニティをうまく動かすということ?

内田:大学が京都の次に多いので、市長が大学をどう使うかというところを考えている。見えないものをどう取り込んでいくかということかなと思う。

男性:再投資と目的化という話のなかで、自分も修士論文の中で、秋葉原、築地、神保町の専門店街の20年化の変化を追っている。ヒアリングしていて、当然目的地化ということが起こってきている。今まで築地ではBtoBでやっていたが、変化してきている。そういう地域が更新していくというプロセスは勿論あるが、何が違うのかなと思った。目的地化をした時に、需要の部分がキーになっているという気がした。都市に呼び寄せられる側をうまく操作していけないかと思った。

山村:地域ブランディングをきちんとやるということはあるのか。

:バルセロナでも、元から低所得な人が住んでいた地域に新たに人を呼ぶという話か。それもいいか悪いかはわからないが、似たような所得の人たちを呼び込んでいて、ひとつのそういう人たちの集まりのコミュニティが新たに生まれていくような形とか。何故全然違う人たちを呼び込んできてしまうのかと思った。

阿部:需要主導ではある。マーケティングをどこかの段階で誰かがやりだす。

内田:今の話をきいていると、21世紀型の計画と反対のことをおっしゃっていると思った。本当はミックスしないといけない。アメリカなんかでもやっているが、結局うまくいっていない。計画というものの破綻・逆効果があって、需要をコントロールできるかというと、それがうまくいくかどうかわからない。意図的に計画的に人をひっぱることができるかというとそれは難しい。個別ベースで設計していくことが重要。

山村:一方で、ある種の巨大な資本が広い面積ではいってくるとそれは変なことになる。意図的に寄せるのは難しくて、規模であるのか、商品を品目別に規制するのか、色々あると思う。
阿部:吉祥寺のハモニカ横丁とか。あれがジェントリフィケーションであるのかという疑問はあるが。大阪の中崎町とか。そこでは似たような店がみられる。ああいうのはジェントリフィケーションでもあまり良くないのではないか。競争心があるなかでのジェントリフィケーションではそれなりに面白いのかなと思うが。そういう意味ではジェントリフィケーションスタディをちゃんとした方が良い。メカニズムがどうなるのかとか、評価できるのかとか、何が良くないかも含めて。

内田:市場に任せるとそうなる。ジェントリフィケーションのやってる店はパン屋ばかり(笑)

阿部:焼きそばパンがほっとするみたいな(笑)でもそれは両方あっていい。そこのバランスが、分かれてしまう分岐点がどこなのかをしっかり見ておかなくてはいけない。

内田:パン屋ジェントリフィケーションについて誰かやらないか(笑)

阿部:京都なんかパン屋がすごく多くて、ジェントリフィケーションの波がありそう。

内田:金沢もパン屋ばっかりだった。

後藤:ジェントリフィケーションが都市の真正性につながっているのかなと思った。話を聞いていて、東京では神楽坂もジェントリフィケーションが起きていると考えている。昔からやっていたお店や花街としての生業がなくなっていく中で、外部資本の色んなお店が増えてきたりとか、空間の面も修景が増えてきていて、東京でもジェントリフィケーションが見られるなと思った。

内田:ハードが壊れても、営みがあればオーセンティシティは保たれるとズーキン先生は言っているが、建築をやっていた私としては両面が残って欲しい。ハードの中に質のちがった営みが残れば良いのではないかと個人的には思う。

阿部:京都で路地の話があって、地割をどう残すかという話がある。もちろん地割も変わってきているが、土地が合筆敷地になるのはとめたいのだが、今の状態が果たしてオーセンティシティかと言われると誰もわからない。空間上の営みを受け止めるというところがある。ちゃんと受け止めているからこそ、ジェントリフィケーションに対しておかしいと言えるということだと思う。別にいいというジェントリフィケーションもある。ほとんどの人が持ち家でそれでジェントリフィケーションが起これば別にいいのでは、ということ。剥奪される対象は社会的弱者である。そういうエリアでジェントリフィケーションが起こるのであれば、社会的包摂も含めて考えないといけない。住宅地の中で起こるという話であれば、チェーンが入ってこない形でのコントロールがありうるのではないか。

稲垣:何の力でどういう状態に変わるのかということがもう少しはっきりするといい。先ほど市場型とかおっしゃっていたが。もうひとつは、地価の高騰の話がでてくるが、結局、土地や建物を持っている人が店子に貸す場合が多い。貸してしまうと、だんだん商店街の組合が不動産業界の組合みたいになってしまう。そうすると、もっと楽に稼げるほうがよくなって街がどんどんつまらなくなってしまう。みんな似てきてしまって、入るとどこも似たような雰囲気ということになってしまう。

住宅に関しては、発展途上国の低所得者層の住宅地を問題があるから直すとお金のある人がきてしまって、ということで私は初めてジェントリフィケーションという言葉を聞いた。去年の3月にロッテルダムの駅の近くのエリアの修復型再開発の事例をみたが、得意になってジェントリフィケーションを起こしているという言い方をしていた。そういう風に住宅系の場合何の力でやるのかということと、商業系やその他の場合とは違うのかなと思った。結局つまらない町になってしまうと、ゼロからはじまるのか、どこかで踏みとどまるのか。結構個人の力が、下北沢や神楽坂では大きいのではないか。特に下北沢の場合、小田急線が立体化したりということがあるのと、どんな町になってしまうのかと。
内田:所有と使用の分離の話が最近でてきているが、上り坂か下り坂かによると思う。下り坂のところについては、分離がある方が活性化するのではないか。上り坂のところでは、仰るとおり同じようなテナントがはいってきやすい。そちらがジェントリフィケーションだが。商業都市用の分離は単純には当てはめられない。地方都市の中心市街地では、なるべく分離して活性化しようという動き。私は基本的にはジェントリフィケーション悪いと思って論じているわけではないので、ロッテルダムの話も間違っているとは思っていない。

阿部:今日はけっこう社会的包摂よりもジェントリフィケーションの話だった。常に全ての土地は高級化していくということを前提とすると、上に何が乗っかっていくのかという話で、きわめて都市計画的な話だと思う。ゾーニングコントロールが主流の中で、用途コントロールがどこまで踏み込んでいいのかということを考える良いきっかけなのではないかと考えている。かといってそこに「焼きそばパンを売っているパン屋」というようなゾーニングができるかというとできないが。地域のビジョンを考えるときには、どういったお店、生業があるべきかという議論がなくてはならない。そこの議論があってはじめて、面白いまちになっていく。それが残っていくとそこがしぶとさにつながっていくのではないか。

稲垣:考えるプラットフォームが存在せず、それをつくるのが大変だという話ではなかったか。

阿部:行政だけでは絶対に無理。最終的な決定は行政がやるということになると、行政の中でどういう風にアイデアを組み込めるのかを考えないと難しいと思っている。民間のリノベはいいことだと思うが、都市の全体のことは考えられていない。そうするとある商店街は栄えてていいが、その分どこかから持ってきているという問題が起こる。都市全体で考えるひとが必要で、個人的にはそこに職能を見出したいという使命感がある。一方で、ぽこぽこできるという強さの素地は必要。そこの接続は大学なのか、こういう場でペースをあげて議論していかなくてはならない。

稲垣:雰囲気がいいのでみなさん通っている。逆に金太郎飴的にお店が入って行った時に、淘汰されて別のものが入っていくことがあって、街も生き物なので、自然に任せるのが本来の形ではないかと思っている。

阿部:そこの議論をどのレベルでやるのかが重要。そうはいってもヨドバシはめちゃくちゃ使う。町の生業としてどうするのか。政策がある商売を個別に支援するのはまずいが、根付いているシステムを含めて、そこを破壊されないようにしましょう、というように一連のシステムで見ていかないとうまくいかない。なくなったあとに気づく。

内田:町屋は一度壊されたら二度ともどらない。自然だけに任せるのも、その後傷つく地域が残るだけなのではないか。守ることも必要ではないかと個人的には考えている。

窪田:社会的包摂とジェントリフィケーションは閾値があるわけではない。どこからが駄目かが分からない。その時に目の前の現象を見るだけでは足りないと感じた。現象が起きている周辺、広域、次の世代といったものや、今までその地域に貢献してきたが追い出されるしかなかった個人の気持ちだとか、色んなことをみていかなければならないと思った。もっと言ってしまえば、良いも悪いも色々あるが、それに対しなんらかの対応を社会としてしなければならないのでは。スタディ事例を積み重ねていくということが必要。また、ひとりひとりの力が小さくもないということ。どうやったら個人個人の力、しぶとさを実践の中で繋げていけるのか、議論を積み重ねていけると良いと思った。